ひとりごと access_time2019.04.11 09:58 update

wowakaさんについて

 暗い、暗いの世界から  僕に「泣いて」って言うんだ  何もないよな気がしてた  何かあったかなあ

 伝えなきゃいけないことが  まだまだ、あるって思うんだ  使い捨ての言葉たちだ  何があったかなあ

– プリズムキューブ / wowaka

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 wowakaさんの曲を初めて知ったのはいつだったか思い出せませんが、まだニコニコにハマる前、YouTubeでボーカロイドの有名な曲を漁っている中で、『裏表ラバーズ』を自然と知ったのだろうと思います。

 一方、ファンになった時期ははっきりしていて、間違いなく『ワールズエンド・ダンスホール』が投稿された瞬間、またはそれからの1ヶ月です。

 このブログの過去の記事を漁っていたら、『ワールズエンド・ダンスホール』が投稿された時に、「裏表の人の新曲」という薄っぺらい紹介をしていました。文章がイタい中学生すぎたのでリンクは貼りませんが……。

 それから毎日、家ではニコニコで、通学中はiPod nanoで、狂ったように聴き続けて、みるみるその虜になっていきました。

 私自身は、根っからのwowakaファンで、デビュー当時から追いかけていたわけではないものの、『ワールズエンド・ダンスホール』の動画で投稿から1か月ほど毎晩行われていたコメント色変え祭りに参加してた程度にはリアルタイム世代です。

「DEEPER」は悪くないけど、最近のヒトリエはなんか違うと思う

 今回の件で、wowakaさんのVOCALOID動画が追悼コメントで埋め尽くされていることに賛否が分かれていますが、そもそも、『ワールズエンド・ダンスホール』のコメント欄は、投稿直後から一貫して、曲の感想を書き合うような場ではなく、その楽曲をそれを愛する人たちが繋がるための媒体だったのですから、これがあるべき姿だと思います。

 「平成最後の神話入りを目指そうぜ」なんて言っている人たちもいて、そういう態度を何らかの冒涜だと感じる方も中にはいるでしょうが、

 2010年の熱狂をリアルタイムで体験したボカロ厨にとっては、『ワールズエンド・ダンスホール』と『モザイクロール』の最速ミリオン支援祭りも青春の一場面だったし、その空気感が残っていることはそう悪いものではないでしょう。

 

 インターネットと社会の境目が曖昧になり、ニコニコとその他のコミュニティもすっかり一体化して、その中で無数の対立がある今となっては考えられないことですが、

 あの頃は確かに「ニコ厨」「ボカロ厨」というひとまとまりのコミュニティがあって、「ニコニコ」という独立した一つの世界があって、

 wowakaさんはそういう自分のいた世界の中で、紛れもなく圧倒的なヒーローとして存在していました。

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 誰が何と言おうと、私にとってVOCALOIDの全盛期は2010~11年前半に違いないのですが、

 「BALLOOM」が設立され、リリース第1弾がwowakaさんのフルアルバム『アンハッピーリフレイン』だと発表された、あの瞬間こそがピークであり、この人たちが未来を変えるのだと本気で信じさせるパワーがあったように思われます。

ハチ / アゴアニキ / とく / wowaka / OSTER “BIGBAND” PROJECT / 古川本舗 / ナノウ / すこっぷ

 この8人のうちのほとんどが参加する『酒処風船屋』というトークライブに、全部ではありませんが、2回も参加できたことは本当に奇跡だったと思います。

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 昔のHDD漁ってみて、こんな写真が残っていてびっくりしました。

 撮影してオッケーだったのかどうかすらも思い出せないのですが、時効だと信じます。

 あの頃はまだ顔出ししているボカロPの方が少数派だった中で、その「凄い人たち」が人間として同じ世界に存在していることを初めて実感した瞬間でもありました。

 

 初めて行った回、wowakaさんとどうしても話がしたくて、イベント終了後にロフトプラスワン2Fの控室に戻っていたwowakaさんをスタッフの方に呼び出してもらって握手をして、話をしたことを今でも覚えています。

 そして、まさか直接会えると想像も準備もしていなかったので、高校生特有の無遠慮さから、余っていたアンケート用紙の裏にサインを書いてもらうという、今思えば失礼極まりないことをしてしまいました。今だったら絶対にできない。

 

 ただ、今となっては、むしろそちらが残っていることの方が貴重かもしれないと思います。

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 こんなイベントがあったんですよ。信じられますか?

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 このハート部分に自分の名前まで入れてもらってます。

 あと、日付も書いてあるんですが、wowakaさんが年を間違えている(実際は2012年2月)というのもチャームポイントです。

 

 diorama発売前のハチさんは、今よりももっと謎に包まれた人でした。「霞を食べて生きていそうなイメージ」とか言われるほど、アゴアニキさんや古川本舗さんから弄られていました。

 wowakaさんはお酒を飲むとすぐに寝てしまって、ほとんど会話にも入っていなかった気がします。2回目のイベントで、「ひとりアトリエっていうバンドをヒトリエに改名しようと思っていて。凄い良い名前じゃないですか?」って話して、あんまりみんなピンと来てなかったことすら懐かしい。

 それがdiorama発売時期なので2012年5月。

 それから半年後、シノダ(衝動的の人)が加入して、ヒトリエ初の自主企画ライブであった「その少女、おひとりさま」で、私は初めてライブに足を運びました。

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 当時の感覚は今でも鮮明に灼き付いていて、

 激しいフラッシュの明滅で手だけが映るSisterJudy、激しいモッシュでボロボロになるワールズエンド・ダンスホール、それまでイヤホンで聴くものだけが音楽だった私にとって何もかもが新しくて、衝撃的だったし、

 ライブの内容だけではなくて、一人で東京に行くこと自体がほとんどなかった高校2年生の頃に、下北沢の暗い路地で周辺住民の邪魔にならないように開場を待つ緊張感、番号順に呼ばれた時の高揚、ワンドリンクを開演前に受け取ってしまってライブ中ずっと邪魔になった失敗、ライブ終演後、小さな会場でグッズを手売りしていたwowakaさん、着ているTシャツに背中の上からサインをしてもらうファンの女性、真冬なのにヒトリエTシャツ1枚で駅まで歩いても全然寒く感じない身体の熱、

 私にとってのライブとはつまりヒトリエのライブでした。

 

 グッズを手売りしているwowakaさんに、「『酒処風船屋』の頃から……」と言ったら「そんなに前から?」と驚いてくれたことを覚えています。

 直接話す機会があればそのたびにワールズエンドダンスホールカバーの音源化をお願いしてきましたが、正式な音源という意味では叶わず。

 『酒処風船屋』のアンケートで、「BALLOOMメンバーでライブをやってほしい」という意見が寄せられ、その場ではメンバーも来場者も盛り上がっていたのですが、結局実現することはありませんでした。

 米津さんとヒトリエのツーマンライブも、いつか観たい、いつかやってくれるはずだと、ずっと期待していたのに。

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 音楽は常にそれを聴いていた時の記憶と結びつくとよく言われますし、私にとってもそういう音楽はたくさんあるのですが、

例えば僕だったら、高校生3年生の頃、受験勉強しながら聴いてた曲をふと今聴くと、寒かったセンター試験の時期を思い出す。夜中走りながら聴いてた曲を今聴くと、その川原沿いの風景を思い出す。そうやって、音楽が人生に寄り添ってきたんですね。

isai Beat × ヒトリエ|wowakaインタビュー – 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 ヒトリエの音楽については、そのほとんどが、もう長い間ずっと聴き続けているのでむしろ特定の時期の思い出ではなかったりします。

 『ワールズエンド・ダンスホール』なんて特に、この9年間ずっと聴いてきた曲だから、投稿直後のパソコンの前に張り付いていた光景は思い出せても、音楽単体で何か特定の時期を想起させるものでは全然ない。

 ただ、唯一『モノクロノ・エントランス』だけは明確に結びつきがあって、それはカナダの大学寮の風景です。

 7月1日にこのアルバムが発売されて、私はそれを速攻でiPod nanoに入れて、7月3日から6週間のカナダ短期留学に行きました。慣れない土地と見知らぬ人の中、ずっと英語で授業を受けるストレスで、前半の3週間くらいはずっと帰りたくて仕方なかったのを覚えています。

 そういう中で、夜、『モノクロノ・エントランス』を聴きながら、1周するだけで20分はかかる広大な大学寮をウォーキングするのが息抜きになっていました。今でも、特に『劇場街』や『モノカラー』を聴くと、7月でもまだ肌寒かったあのカナダの空気が蘇ってきます。

 

 それ以外の楽曲に関しては、どちらかといえばライブの思い出とのリンクが強くて、

 『踊るマネキン、唄う阿呆』のイントロではシノダの狂ったような煽りが聞こえてくるし、『ハグレノカラー』を聴けばDEEP/SEEKで初披露された時の感動を味わえるし、言うまでもなく『アンノウン・マザーグース』はあの大合唱が浮かんでくるし、

 キーが半音低い『ワールズエンド・ダンスホール』はもう導入のドラムだけで何の曲かわかってしまうし、今でも聴けば身体が踊る。

 ただ、そんな記憶も今となっては全て反転して、二度とそれに会えない悲しみだけが想起されてしまう。

 ヒトリエのライブ版ワールズエンド・ダンスホールは何度経験しても最高で、

 「部屋の隅っこ、最小単位で踊れる曲」というテーマで作られた曲で会場の全員がリアルタイムに踊っていることの感慨深さ、

 そして、7年前に世界の隅っこでニコニコ動画を観てコメント打ってたオタク共(私含む)が前奏のリフに合わせて「フッフー!」とかイキってコールを入れている時間と空間の歪み、

 それらが凄くポジティブな意味で、自分が生きててもいいんだって言ってもらえるような感覚があって。ワールズエンドダンスホールみたいな曲が大好きな裏のひねくれた住人でもライブを素直に楽しんでいいんだっていう。

 そして、7年前のニコニコの思い出と、ちょうど4年前にhitori-escape 11.4に行った前後、つまりライブ初体験でヒトリエにどっぷり浸かっていた頃の思い出が、どちらも詰まっていて、中学生の頃の幸せと高校生の頃の幸せのシンボルなので、

 そういうことをすべてひっくるめて、我を忘れて踊れる濃密な4分間の楽しさは他のあらゆる快楽を超えていると思います。

最近の音楽の話題(BOOTLEG、HITORI-ESCAPE2日目)

 wowakaさんが歌って観客が踊るあの幸せな空間には二度と立ち会えないんだということは、やっぱりまだ信じられません。また半年くらいしたら行きたいなあ、HOWLSのリリースツアーではボカロはあんまりやらないだろうから、次のHITORI-ESCAPEかなあ、と、そういう感覚が消えません。

wowaka:うん。そしてそれは自分とは縁のない世界だと思ってた。でも、そんな僕が、自分の部屋で、大音量で曲を聞いたり、MVを見たりしながら、ひとりで踊っているんです(笑)。とにかく身体が勝手に動く。

人は「机、パソコン、椅子、自分」があれば、ダンスができる。なんならディスプレイの前に座っていても。「そうだ、こんな狭い部屋で、たったひとりでも踊っていいじゃないか、身体は動くじゃないか、こんな俺たちにも踊らせてくれ」という気持ちを込めて作ったのが、この“世界の隅っこの(ワールズエンド)ダンスホール”なんです。

━━なるほど。乱暴に言えば、引き篭もりの為のダンス・ナンバーだったと。

wowaka:まさしく、ソレです。

初音ミクは、僕の母親です――。wowakaが語る初音ミクとの関係 | アニメイトタイムズ

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 ところで、ヒトリエのフルアルバムでどれが一番好きかと言われたら、私は『IKI』を推したいです。

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ヒトリエ『IKI』感想、不完全ながらも希望を感じる新境地

 ヒトリエの新譜『IKI』を買って聴きました。  前提として、私の現在のヒトリエに対するスタンスは  ... 続きを読む

access_time2016-12-12

 『IKI』はヒトリエのフルアルバムの中でも特に楽曲の幅が広くて、基本的に全曲の作風がまとまっている『WONDER and WONDER』や『HOWLS』よりも受け入れやすいように思います。

 ボカロ時代のwowakaさんが好きで、今回のことでヒトリエを知ったという方は、『ルームシック・ガールズエスケープ』『モノクロノ・エントランス』『IKI』の3作を聴くのが良いのではないでしょうか。私が好きなものを推しているだけですが。

 

 私は、ヒトリエが常に進化し続けてきたという論には懐疑的で、それはなぜかと言えばwowakaさんの音楽は、2010年、2011年の時点で既にその道の頂点にあったからです。

ヒトリエ結成に至ったきっかけは?

wowaka:元々僕はVOCALOIDを使って曲を作り、ネットでそれを発表してユーザーの反応を貰うというような活動をしていて、2011年の5月にBALLOOMというレーベルから『アンハッピーリフレイン』という作品をリリースさせて頂きました。このアルバムを作ったことでこのスタイルでの活動はすべてやりきった感もあったので、一度区切りをつけて新しい事を始めてみようと考えてこのバンドを始めました。当時作った楽曲にはもちろん自分の思いや魂が込められているのですが、感覚としてそれらの楽曲が自分から乖離していくようなところがあって、一度それを自分の方へ引き寄せたいと考えるようになりました。自分が音楽を聴くようになったり、ギターを弾くようになったのは、バンドの音楽がきっかけだったので、その原点に立ち返って改めて自分の音楽を表現する為にこのバンドを結成しました。

メジャー第一弾シングル「センスレス・ワンダー」をリリースするヒトリエにインタビュー| HMV&BOOKS onlineニュース

 wowakaさんが自身のスタイルを『アンハッピーリフレイン』で完成させ、やりきったからこそ、

 ヒトリエはそのスタイルを単純に継承するのではなく、別の可能性を常に探っていたように思います。

 だからこそ自分のようなファンからすれば、全然好みと違う楽曲が来て不安に思ったりガッカリすることも一度や二度ではありませんでした。

 それは同時に、「ボカロっぽさ」として最早普遍的になってしまった「wowakaっぽさ」を、単純に続けるのではなく、別の道からその先に行くためのアプローチを追い求めていたのではないかと思います。

 だから現時点でヒトリエファンよりもwowakaファンの方が多いのは、完成されていたものと未完成のものを比較するのだから当たり前で、

 こういうことが起きてから後付けで言うのは卑怯だと思いますが、もしかしたら、その先、1年後、5年後、10年後のヒトリエは、wowakaっぽさとヒトリエらしさが融合した、全く新しい音楽を生み出して、その時にはボカロ時代を超えるほどの支持を得ていたかもしれない。それがたまらなく悲しいのです。

 

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 今回の訃報を受けて、Twitterで話題の中心になるのは『ワールズエンド・ダンスホール』や『ローリンガール』といったVOCALOID時代の楽曲ばかりで、ボカロ時代しか知らない人が結構いるんだなと思いました。同時に、「『and I’m home』の人」として話題に出しているまどマギファンが多かったのも意外でしたが。

 そういう人たちに対して何か思うことがあるとすれば、もっと早くヒトリエに気付いてほしかったとかいう怒りなんかでは決してなくて、ただ「可哀想」だなと。

 上の写真のCD、デジタルで購入していた近年のCDは手元にないのですが、それを合わせると15枚。

 ボカロ時代しか知らないってことは、wowakaさんが駆け抜けたこの10年のうちの、たった2年間の姿しか知らないってことですよ。

 15枚も放たれたwowakaさんとヒトリエの作品の中で、たったの1枚しか聴いていない人たちなんですよ。

 この訃報を受けてヒトリエを新たに聴く人もたくさんいるでしょうが、それではやっぱり純粋な気持ちでファンにはなれないと思うし、どんなに好きになったとしても、リアルタイムで追えなかった、ライブに行けなかった後悔が先に立ってしまうだろうと思います。

 

 それは別にボカロファンだけじゃなくて、wowakaもヒトリエも全然知らなかった人に対しても同じことが言えて、

 私が、ヒトリエがいつか売れる、今よりももっとたくさんの人が聴くようになることをずっと願っていたからこそ、

 ヒトリエがこのまま活動を続けていれば届いていたであろう無数の人に、その音楽が正しい形で届かなくなったことが残念でならないのです。

 やっぱり、昔から活動しているバンドも、今も活動していれば遡って昔の曲を聴くこともあるでしょうが、既に活動休止していてアップデートされていかないバンドに新たに興味を持つことは凄くハードルが高くて、リアルタイムに追いかけることこそが特定のアーティストを応援する醍醐味だとも思うし、

 5年後、10年後、wowakaという人、ヒトリエというバンドが、「昔活動していた凄い人(バンド)」という、物語の中の存在として語られることになるのが、率直に言って、悔しくて仕方がありません。それは、私自身が、「昔活動していた凄いバンド」を語られて興味を持ったことがないからこそ、余計にそう思います。

 ヒトリエが、こういう形でボカロ時代や初期の楽曲たちをずっと演奏し続けてくれること、それ自体がもっと感謝すべきことなのだろうなと、あの米津さんのライブを観た後だと痛感しました。

 wowakaさんは今日のMCで「5年後も、10年、20年後も音楽続けていこうと思う」と言っていましたが、それは意思表示であって実際にそうなるとは限らないし、活動休止するバンドもたくさんあるわけで、

 だからこそ自分は、もっとヒトリエを応援しなきゃいけないなとも思いました。

ヒトリエ『HITORI-ESCAPE 2019ー超非日常下北沢七日間篇ー』(1/22・初ワンマン再現セトリ)

 5年後どころか、まだ3ヶ月も経っていないのに。

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 そういえばこれまで自分はヒトリエのライブに何回行ったのかと思って、過去のブログを頼りに数えてみました。

 11回。2014年まではワンマン皆勤で、それ以降は、半分くらい。

 2013年11月のライブのことをブログに一切書いてないのは、周りに秘密で予備校サボって行ったライブだからだと思います。

 

 wowakaさんが亡くなったことについて、納得できることなんか何一つとしてないのですが、

 ただ、他のファンの方には申し訳ないと思うのですが、少なくともこの半年、自分に限ってはwowakaさん、ヒトリエに対してできることを全部やっていたという、

 それだけが唯一の救いで、そのことで何とかぎりぎり正気を保てているかもしれません。

 HITORI-ESCAPE 2019の、1stワンマン再現ライブでは、『ワールズエンド・ダンスホール』『アンハッピーリフレイン』『ローリンガール』『プリズムキューブ』といったボカロの懐かしい曲たちと、そして『るらるら』『カラノワレモノ』『ハネルマワル』といったインディーズ時代の名曲を全て観ることができたし、

 最終日のワンマンライブは、本当ならチケット落選していたのですが、wowakaさんがインフルエンザにかかったおかげでキャパが拡大して、何とか行くことができて、メジャーデビュー以降の、『アンチテーゼ・ジャンクガール』『劇場街』『リトルクライベイビー』『アンノウン・マザーグース』などを観ることができて……

 この2つのライブには、ヒトリエの過去と現在がほとんど全て詰まっていて、今思えばそれすらも運命的ですらあるのですが。

 ここ何年かの中には、ヒトリエのライブにほとんど行けていなかった時期もあって、2019年の冬が、個人的にヒトリエのライブに行く機運が高い時期だったというのは本当に偶然というほかなく、

 

 あのワンマンを、観れるにも関わらず観ることを選ばなかった状態で、この報せを受けていたらと思うと、本当に、心底ぞっとしますし、

 wowakaさんのインフルエンザがなければ、東京での最後のワンマンに落選した無念を一生引き摺って生きていくことになっていたので、

 その点だけは、自分は、ヒトリエファンの中では本当に恵まれて……はいないですが、幾分かマシだと思います。

 それは、僅差でそうだというだけで、運命というものがあるとしたら、その幸運に感謝する前にその100倍くらいの罵詈雑言を浴びせるでしょう。

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 誰かが亡くなると、その人のことを昔から一度も悪く言ったことがないかのように振る舞う方がいますが、

 私自身はやっぱりそれをすべきではないと思っていて、『DEEPER』のことを強く批判する記事を書いたことや、遺作となってしまった『HOWLS』をあんまり好きになれなかったことなんかは、今から撤回できるものではない。

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「DEEPER」は悪くないけど、最近のヒトリエはなんか違うと思う

 私はふと思いました。  最近、このブログはどうも、読者受けを気にしすぎていると。  Bremenの感想... 続きを読む

access_time2016-02-29

 そういう感覚も本心としてあったことには違いないし、ヒトリエとしての5年以上の活動の中で、もっとこうすればいいのにとか、こうしてほしいとか、不満や文句はたくさんあって、

 それこそ「売り出し方を頑張れば米津さんくらい売れるはずなのに」ってモヤモヤしていたファンは私以外にもたくさんいただろうと思います。

 ただ、ヒトリエに対して言いたいことはあったとしても、それはヒトリエを嫌いになったわけではなくて、ずっと好きの裏返しであり続けました。

 だから、今まで好きを前面に出していなかった人たちが急に好きを表現するのも、別に手のひら返しでもなければポエムでもないと思います。

 ただ、他人のそれを否定しないことと、自分のそれを擁護することはまた別の問題です。

 

 9日(火曜日)の夜、Sarahah(質問箱)に一通のメッセージが届きました。

 すぐに削除してしまったため内容をそのまま貼ることができないのですが、覚えている限りで内容を書くと、

「以前も今のヒトリエに対する批判を書いた者です。不謹慎ですが私はwowakaさんはもっと前から亡くなっていたと主張します。追悼のコメントもボカロ時代の話ばかり。彼は既に過去の人でした。仮に存命だったとしても今後音楽史に影響を与えることはなかったでしょう」

 こんなメッセージを読まされたことに最初は激しい憤りを覚えたのですが、

 少し経って、なるほど、これは、自分に対する罰なんだな、と思い直しました。

 今までヒトリエの一挙手一投足にいちいち文句を言って、何も生み出せない癖に偉そうに批判だけして、こんな最底辺の人間の意見にすら同意してしまう、逆張りクソ野郎に成り下がっていた、自分への、罰。

 

 wowakaさんは本当に純粋な方でした。

 ある程度の図太さと鈍感さを持っていることが有名になるための必要条件であったインターネットで、作品の強度だけで有名になった故に、向けられる非情な声にも人間として向き合ってしまう純粋さを持っていました。

 『ワールズエンド・ダンスホール』を巡る騒動があった時に、本当なら全否定するか無視してしまえばいいものを、知っていたことを部分的に認める発言で火に油を注いでしまうほどに。

僕自身スパルタの大ファンで、 自身のリフ作りや曲の構成などに このバンドから強く影響を受けた自覚はあります。 しかし、だからこそ意図的に真似をするという意識は 微塵もなかったと断言できます。

新曲について: ヲワカベヤ

 ボカロ界隈に、表面的に自分を真似るような音楽が氾濫した時に、批判などを一切せずにただ自分がボカロから離れるという選択をするほどに。

 そんな真面目で純粋な人に対して、

 それが実際に届いていたかどうかは別にしても、自分が無自覚に投げてきた言葉がどれほど暴力的で、その行為がどれだけ最低であったか。

見境無い感情論 許されるのならば 泣き出すことすらできないまま 呑み込んでった 張り裂けてしまいそうな心があるってこと、 叫ばせて!

アンノウン・マザーグース – 初音ミクWiki

 今までwowakaさんが抱えてきた痛み、投げつけられてきた言葉……いや、そういう言い方は卑怯ですね。

 私が、wowakaさんやヒトリエに投げつけてきた言葉、抱えさせてきた痛み、

 それが、wowakaさんという受け皿がなくなったから、自分に返ってきたのだろうと思っていますし、それはきちんと自分に刺して痛みを受けなければならないなと思います。

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 wowakaさんはインタビューなどで何度か「初音ミクが自分の母親だ」という旨の発言をしていましたが、

 おそらくwowakaさんにとってのそれとは違う意味で、wowakaさんは自分の母親でした。

 大好きすぎるからこそ、それをストレートに伝えられなかった、伝えていたとしてもそれが実際の愛の何万分の1にも満たなかった。

 wowakaさんが自分の一番好きなアーティストであることなんて、10年前からずっとそうで、あまりにも当たり前すぎて、あえて口に出す必要すら感じなかった。

 そして、好きでたまらないからこそ、自分のことを愛してほしい、独占したい、自分と相容れない面を見たくないという身勝手な欲望を抱いてしまう。

 『WONDER&WONDER』や『DEEPER』の頃に自分が抱いた感情は、さながら母親が再婚相手を連れてきたようなものだったのかもしれません。

 

 好きだからこそ文句も言いたくなるし、

 少しでも自分の希望に沿わないことをすると嫌になる、

 嫌いになった、不満だ、と伝えることで相手が言うことを聞いてくれるのではないかと期待する、

 それは全て甘えだったのだなあと、今になって思います。

 

 もっと好きを伝えておけば良かった、もっと感謝を示していれば良かった、

 そうしたところで何が変わるというわけではないし、たとえ今の10倍の感謝を伝えていたとしても、本当は100倍の感謝を伝えておけばよかったと思うのでしょうけど、それでも、やっぱり足りなかったと思います。

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 今回の訃報があった後、ほとんど全員と言っていいほど、多くのボカロPが悲しみに暮れるコメントを出しました。

 2009年以降のボカロシーンにいたPは一人残らず、直接的または間接的にwowakaさんの音楽の影響を受けているのだから、それは当たり前で、

 そういう人たちがwowakaさんの音楽を受け継いでいくから、全て消えるわけではない、それが、凄く尊いことだと思うと同時に、

 翻って自分は何なのだろうと考えます。

 ボカロPやバンドマンが、いつか直接会って話をするのを目標にしていた、対バンしたかった、だから生きていてほしかったと思う、というのはわかりますが、

 例えば、wowakaさんがあと5年長く生きていたとして、自分はその5年のうちに、wowakaさんに会えるような人間になれていたのか、そういう道を歩んでいたのか、と言われれば、そうではないと思います。

 自分は、wowakaさんが今も生きていたとして、会うことができたとして、何を伝えられるのだろう。

 

 この記事のセクションを分ける区切り線は、wowakaさんが今の手書き形式になる前のブログを真似た記憶があるのですが、それくらいで、

 自分は別にwowakaさんから音楽性の影響を受けたりしていない。

 もちろん、思春期にwowakaさんの音楽を聴いて育ったという時点で、言葉選びやセンスや思考回路など、その一つ一つに深く入り込んでいるし、

 高校生の頃に、wowakaさんの非日常レコーズのサイトが格好良くて、そのコードを見ながらメモ帳でHTMLを書いて自分のサイトを作ったという経験が、現在のWebエンジニアの仕事に繋がっているので、

 そういう意味では、何かを粒立てて語る必要もなく、wowakaさんがいなければ今の自分になっていないのでしょうけど、

 もっと明確な意味で、自分が何か意味のある人間になりたい、そして、そうなるきっかけがwowakaさんであると胸を張って言えるような存在になりたいとも思います。

 その人が死んだ後で、その意味を、繋がりを、見出そうとするのは、正しくなくて、恰好悪くて、もう遅いのかもしれませんが。

 

 wowakaさんが31歳で、自分が今23歳ということは、wowakaさんが今の自分くらいの年齢の頃には既に『アンハッピーリフレイン』を発表して、とっくにVOCALOIDシーンを去っているわけです。

 wowakaさんのそれに比べて、自分の人生の密度の薄さ、なんてBPMの遅い人生を送ってきたことか。

 自分は、wowakaさんの何を受け継いで、この世界に残していくことができるのだろう。

 それを常に抱えながら、毎日を全速力で生きる、それだけが、wowakaさんに対して自分がこれからできる唯一のことであるように思います。

愛すべきもの探してんだ 止まってなんていられないんだ 無我夢中の毎日をやって 夢心地の孤独を超えんだ 何もかもをこの一瞬に 集めて弾き飛ばしていつか 必ず終わってくこの命でさえも このまま超えてゆけ

-ウィンドミル / ヒトリエ

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 ずっと、何を、どういう形で書けばいいのかを考えていました。

 

 別に、リツイートだけして無言でいることで、米津玄師と並ぶくらいのショックを受けているように思われたかったわけではなくて、

 このことに対して、私が発する言葉を、私が大切にしたいと思ったし、それを全部私の記録に残したいので、ツイッターなんかには一文字だって先に流したくなかった、それだけです。

 

 不特定多数が読むことのできるブログというフィルターを通した時点で、何を書いても嘘になってしまうように思えるし、

 自分の中にある、言葉にならない感情を無理やり言葉にすることで、元あったそれから変容してしまう経験を何度もしてきたからこそ、何か言葉にすることすら、できることならしたくないし、

 月曜日にも、何かを書こうとして、全然形にならなくて消したりしました。

 でも、今それを残しておかないときっと後悔するに違いないし、

 何よりも、自分がずっとブログを続けてきた、文章を書いてきたのは、きっとこういう日にそれを形に残すためだったはずで、

 人々の心を打つ音楽を作ることのできない自分なんかが生き長らえてしまった以上は、自分のできることを果たさなければ申し訳がないとも思います。

 

 昨年10月、徳島に住んでいた祖母が亡くなりました。

 その時、もちろん悲しくはなったのだけど、同時に、自分は、年に何度かしか会わない人を失っても、案外何事もなかったかのように日常に戻れるのだと知りました。

 定期的に会う友人や、同居している家族であれば、また違うと思うけれど、

 元々ほとんど会っていなかったのだから、その人のことを考えていない時間の方が圧倒的に長かったはずで、だから意識して思い出さない限り、忘れることはいくらでもできる。

 むしろ忘れている時間の方が日常だったのであって、そのことに多少の罪悪感は覚えながらも、それを不謹慎だと言っていたらキリがないし、どこかで折り合いをつけていくべきなのでしょう。

 

 でも、今回ばかりは、そんなことはなかったかのような顔をして生きていくことがどうしてもできない。(他人に押し付けるわけではなく)自分に対してのみ、それは、不謹慎で、恥ずべきことのように感じる。

 何で自分は、wowakaさんが死んだのに普通に仕事をして、普通に食事をして、普通にテレビを観て、普通に寝ているんだろう、それはどう考えても普通じゃない、異常なことだし、異常でなくてはならない。普通に家族や同僚や店員と会話している自分が心底気持ち悪いし、憎い。普通の顔でいていいはずがない。

 

 昨日も一昨日も普通に仕事をしていて、表面上は何もないかのように振る舞っていましたが、ずっともぞもぞしていて、ふわふわしていて、何も手に付かない、手に付けることが良いことなのかもわからない。

 やっぱり一度、正面から向き合わないと何も始められない、別に向き合ったからといって何かが変わるわけではないけれど、

 それを曖昧にしたまま日常には戻れないし、戻ってはいけないと思って、昨日は仕事を休みました。

 それで少しずつこの記事を書いてみたのですが、やっぱり、全然、何一つとして収まりません。

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 4/6、土曜日、ヒトリエのライブ中止の発表があった時点で、当然、最悪の可能性を想定してはいましたし、そうなったらどうしようとあれこれ想像を巡らせていました、

 だから、あの「ヒトリエからのお知らせ」というリリースを読んだ時も、きっとそうだろうと思いながらページを開いたし、その通りのことが来ても、それで取り乱したり酷く驚いたりはなく、静かにその文字を見つめていました。

 でも、驚かなかったのは、予想ができていたからというわけでは決してなく、

 それが現実のことだと、全然理解できなかっただけだと思います。今もそうです。

 だから、ご冥福をお祈りします、とか、天国でもお元気で、とか、R.I.P. とか、全然少しも自分の中にない言葉なので、言えないです。

 

 訃報から3日が経った今でも、やっぱり半年くらいしたら新譜の告知があるような気がするし、

 またワールズエンド・ダンスホールで飛び跳ねて、アンノウン・マザーグースで叫んで、カラノワレモノで沁み入る、あの空間に足を運びたいなと、ごく自然なこととして思います。

 自分のこの10年はwowakaさんの存在が当たり前にあって、それがあることを前提にして生きていました。

 それが永遠に失われた後の世界は、想像もつかないし、そういう世界に既に今いるのだと言われても実感がありません。

 

 悲しい、とか、辛い、とか、そういう言い方は適切ではなくて、

 この数日の感情を一言で表すなら「あり得ない」。

 信じられない、ということでもなく、そんなわけがない。

 

 自分の好きなアーティストはヒトリエ以外にもたくさんいて、ここ数年に限って言えば、ヒトリエよりも長い時間聴いていたアーティストもおそらくいます。

 当然、その中の誰が亡くなったとしても、辛いし、悲しいし、悔しいし、二度とその人の新曲を聴けないことを酷く残念に思うでしょう、

 ただ、それでも、それは、何とか乗り越えられるのではないかと思います。

 

 本当は、こんなことを、言ってはいけないのは、承知の上で、あえて口にしますが、

 「あなたの好きなアーティストが一人を除いて全員死にます」と言われたとしたら、私は、wowakaさんに生きていてほしいと答えます

 wowakaさんは自分にとって、そういう、一番の存在でした。

 

 そういう存在であった人が、自分の好きな他の誰よりも先に死ぬなんていうのは、ちょっとあり得ない。

 もし、自分が、この世界の主人公であるなら、物語の中盤でそういうこともあるでしょうけど、私なんかに、そんなことが起きるなんて、想像すること自体が馬鹿馬鹿しく、厨二病すぎて恥ずかしく、

 自分の人生の中で一番死んでほしくない人だけがピンポイントにいなくなるって、そんなこと起きるわけないので、ちょっと笑ってしまうくらい現実味がないです。

 

 この記事を書きながらも、wowakaさんがもうこの世界にいないという事実を受け止められず、いや、事実として頭で理解しながらも心では全然わかっていないように思います。

 こうやって当たり前のように記事を書いているのに、ふと「wowakaさんが亡くなった」というただの文字列を自分で打って急に泣きそうになったりして、

 きっとこれからも納得なんてできないと思います、wowakaさんが亡くなったという事実を消化できる日なんて来なくて、あと何日かけてもそれは一緒で、

 それでも、今日は仕事に行きますし、明日は転職活動の最終面接があります、

 そんなの全部投げ出してしまいたいと思う自分を納得させる材料なんてないので、

 それをなかったかのように振る舞える別の自分が生活を営んでいくだけなのだろうと思います。

 今までと同じようにwowakaさんやヒトリエの音楽を聴いて、聴きながら生きていく、それは今回のことで何かが変わるわけではないので。

 

 まだまだ言い足りないことがたくさんあるし、きっと次の記事でもその次の記事でもwowakaさんやヒトリエのことを書いているような気がしますが、今日はここまでにしておきます。

 今でもこれを現実のものとして呑み込めていないので、だから、今までありがとうございました、とか、もっと生きていてほしかった、とか、そういう形式的なお別れの言葉を自分の中から出すことができません。

 なので、今、私に何か言えることがあるとすれば、

 あなたとあなたの楽曲が大好きです。今までそうであったように、これからもそうあります。それだけ書いておきます。

ねえ、あいをさけぶのなら
あたしはここにいるよ
ことばがありあまれどなお、
このゆめはつづいてく
あたしがあいをかたるのなら
そのすべてはこのうただ
だれもしらないこのものがたり
またくちずさんでしまったみたいだ

アンノウン・マザーグース – 初音ミクWiki

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