『若おかみは小学生!』の感想の延長戦
よりフランクに
昨日上げた『若おかみは小学生!』の感想記事は読んでいただけたでしょうか。
『若おかみは小学生!』感想。「誰も傷つけない”のに”面白い」という新しい王道
前書き 映画『若おかみは小学生!』を観た。 新海誠監督をはじめとして各方面から大絶賛されている... 続きを読む
これから観るつもりの方は読まなくて良いんですが、それなりに手ごたえのある感想記事になりました。
久々に文章らしい文章を書いたなあという感じで、これを2日で書き上げたことにはそれなりに満足しています。
こうやって臆面もなく一個人の意見を事実であるかのように書けるようになることが大人になるということです。
で、今日は久しぶりに普通の(ただの日記としての)更新をしよう、と思っていたのですが、
若おかみの感想記事に書ききれなかったことをまとめていたら、思ったより長くなったので、1つの記事にしちゃいます。
というのも、昨日みたいに言い切りの文体で、筋の通った一つの「論」として書こうとするとうまく入らないものが多すぎて……。
これは普遍性がない(自分以外の人が読んでもわからない)とか、作品論から離れすぎている(社会問題への接続が強すぎる)とか、そういうことで削ったものがたくさん。
なのでこの記事は、肩の力を抜いて、自分が慣れている敬語で書きます。
なので昨日のこの記事を読んでいることが前提です。昨日の記事もこの記事もネタバレは避けていますが。
ということで削った話をいくつか。
音楽が最高(誰にでも書ける)
だいたいこういう感想記事書く時、アイドリングとして個人的な話から書いていって、最終的に邪魔になるので個人的な話だけ削っていきます。
『勝手にふるえてろ』の感想もそうでした。
で、みんな書いてるポイントはみんな書いてるからいらないか、と思って削っただけで、
デザインもセリフもキャラクターも最高に面白い映画なので全般的に褒めたいんですけど、特に良かったのは音楽部分です。
鈴木慶一さん作曲の劇伴、特に中盤流れる暗いBGMの雰囲気がMOTHER2過ぎて最高だった。そして劇中歌の『ジンカンバンジージャンプ!』は早く配信してくださいって感じ。
まあでもこれはもう観た人全員言ってることなんでわざわざ書かなくても……という判断でした。
『ろこどる』だった
「嫌な奴、悪役が全然出てこないのにちゃんと主人公が成長するしストーリーにメリハリがあって面白い」というのが『若おかみは小学生!』の新しさだ、と冒頭で書いたのですが、
『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』もそうだったので、2例目です。
以前書いた「好きなアニメ10選」みたいな記事の中で、
基本的に面白いアニメって「嫌な事件が起きないので安心して観られるけど盛り上がりがない」か「ストーリーにメリハリがあるけど先が不安になる」かだと思うんですけど、ろこどるは「嫌な事件が起きないのにちゃんとストーリーにメリハリがある」という奇跡のアニメです。
と書いた通りで、ろこどるもまた、悪役がいないのにちゃんと主人公の奈々子が成長するし、物語も面白かったです。
だから「ただメリハリ作るために、悪役以外のアイデンティティを持たない、物語的な必要性だけで生まれた悪意の塊みたいなキャラ」を生み出すのって単なる甘えだなあとも思いました。
ただ2018年の今、『ろこどる』を例えに出して誰がわかるんだよという感じだったので削りました。
どちらも共通点多いので、若おかみ気に入った方はこっちも面白いんじゃないでしょうか。おすすめです。
『花咲くいろは』じゃなかった
あともう1つ、今回で言えばどうにも収まりが悪くて削った文章があって、
この映画のあらすじを見て、「ポストジブリ!ポスト宮崎駿!」みたいな感想見た時に私が抱いた感想が、
「あーはいはい、また主人公が女将にめちゃめちゃ厳しく指導されて過酷な追い詰められ方をされて逃げ出したくなったりするけど、最終的には何だかんだで辛い経験も全部糧になって成長する系のアレね」
みたいなことを書きたかった。
ニュアンスとしては元の感想記事にも残ってるんですが、自己主張強すぎて流れを止めちゃうなあと。卒論だったら脚注に投げるやつ。
要するにこの設定だと『花咲くいろは』思い出しちゃうんですよね。女将の主人公への当たりが強すぎて、最終的にもろもろハッピーエンドになることなんかもちろん承知の上で1話切りしたアニメです。
それだったらちょっと嫌だなあと……。
で、冒頭はちょっとその匂いがあって、おっこが若女将になるのを承諾するくだりは割と有無を言わせず……だったのですが、その後はちゃんとおっこが自発的に選んで、周りから何かを強制されない、しかも基本的にはおっこはずっとハッピーなので、良い映画だなあと。
おっこ自身がその責任でがんじがらめになって選択する余地もなく、みたいな映画になってないところが良かったです。
まあ、高校生とかならともかく小学生主人公でそれを描いたら本当に目も当てられない児童労働になってしまうということもあるのでしょうが……。
あと、「中盤までボロボロにされた主人公が最後だけ何となく成長して丸く収まるけど全然プラマイゼロじゃねーじゃん」みたいな王道ストーリーの例として『アンナチュラル』挙げようかとも思ったんですが、
伝わりにくそうなのと私自身もアンナチュラル3話以降観てないのでやめときました。甲子園批判くらいがちょうど良い。
信仰の必要性
感想記事のラストの、信仰に関する話は、いろいろ持論削った結果だったりします。
この映画を観る前から何となく考えていたことなのですが、
最近の日本だったり世界だったりの、血も涙もなく弱者や少数派や対立する相手を切り捨てることを良しとする風潮って、
資本主義、新自由主義、科学や合理性の観点からではどう論理を組み立てても否定しきれないなと思っていて。
例えば「LGBTは生産性がないから殺すべき」みたいなことを言ったとして、それでLGBTを殺したことでLGBTでない人に何か不利益があるかと言えば、資本主義的にはないんですよね。この考え方を擁護するわけではもちろん全くないですが!
でもドイツのナチスがやったのはそういうことで、それでユダヤ人でない人種に「不利益」があるかと言えばない、むしろ利益を享受できたわけじゃないですか。
さらに極論として言えば、「この国にいる51%の人の税金ゼロにして残りの49%の人権奪って奴隷にします」っていう主張は資本主義・民主主義では通ってしまう。
そして、今、安倍首相やトランプ大統領がやっているようなことは、それをもう少しマイルドにしたものでしかない。
で、そういう自己本位、実力主義、自分が勝ち馬に乗れれば負け犬は皆殺しで問題ない、という考え方が、インターネットで本音が好まれるようになってますます増長しているし、
それに対して「いや、LGBTも生産性あるよ」とか「だったら安倍首相も子どもがいないから生産性ない」とかは、
結局その論理に乗っちゃってるから否定できてない。
「生産性があってもなくても人間は生きていていい」という結論を導く必要があって、
それは資本主義や民主主義というところに立っている人間にはどうしようもないのだけど、
宗教や信仰といった、人ならざるものの力を借りることで初めて導くことができる。
「神様が人類はみな平等と決めたから」と言えば、それで全て解決するし、むしろそれ以外で解決できない。
それが合理的ではないという人もいるかもしれないけど、じゃあ逆に、弱い人間は殺してもいいなんていうあり得ない意見を否定するために、それほどのことをしないと導けない方がおかしいというか、
本来は理屈なんかいらないはずなんです。それでもそこに理屈を求めてしまう人間の弱さを助けるために信仰や神の存在がある。
で、『若おかみは小学生!』はまさにそういう映画だったんじゃないかと。
おっこに対して何かを強制する権利のある人間は、生きている中にはいない。
でも亡くなった両親と、温泉の言い伝えがあるから、おっこは前に進めるし、それは他人の言葉に支えられてのものであったとしても、それも含めて自己の強さと言ってしまって良いだろうし。
ラストシーンの、おっこのトラウマの克服って、
例えば「今までライバルだった真月に叱咤激励されて」みたいに着地させることもできたと思うし、むしろその方がすごく王道っぽい。
でも、そういう映画だったら私はボロクソに叩いてましたね。その方がウケは良いのかもしれませんが、そうじゃない、というのが新しいし素晴らしいと思います。
現実社会の話に引き戻すと、
だから今の日本社会がこんなに息苦しいのも要するに無宗教な人が増えたからなのでは……とか、
自分のこの矛盾(他人を否定したくないけれど他人から否定されたら否定し返したい、など)はもしかしたら信仰によって解決するしかないのではないか……とか、そういう話です。
だからといって現代に信仰が広まることもないでしょうから、
その点でも『若おかみは小学生!』は理想の世界の話だし、ファンタジーだなあと。
でも、ファンタジーにわざわざ現実の息苦しさと絶望を持ち込んで、子供に夢を見させまいとする数多の映画より、こっちの方が世界にとってポジティブに作用してくれるでしょうから、もっと増えてほしいですよね。ディズニーは『ズートピア』でとっくにそれを達成しているので、日本アニメでも。