ひとりごと

当事者性は言い訳で、客観性は出しゃばりで、志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 お盆休み。母親の実家がある徳島に来ています。去年も一昨年も。3年前はカナダ留学で行けなかった年かな? もう3年前……。

 8/12朝に夜行バスで着いて、15朝に飛行機で帰るのでそんなにのんびりもできていないのですが。明日には帰ります。

 あっという間に休みが終わってしまう。もう休みがすぐに終わることそのものには慣れてしまったので別に心が動くこともなくなりましたが。きっと30日の休みができたとしても一瞬で過ぎていくのだろうな。


 それで……まあ、前々回の記事のこと、触れておきましょうか。

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『青春高校3年C組』、多様性を全否定する学園祭企画の失望感

 私は学生時代、自分の高校が本当に嫌いだった。  体育祭で参加予定だった競技は気づいたら終わってい... 続きを読む

2018-08-09

 いろいろあったのですが……率直に言いますと、

 もう完全に心が折れてしまいました。

 青春高校のファンの方々、数人にTwitterで見つかって削られた件で。


 今までもヒトリエだったり志保だったり地下室だったり、自分の強い思想が目をつけられることは何度かあったのですが、そちらが一応賛否両論だったのに対して、今回はちょっと……

 まあファン層がそもそも狭い上に、ちょっとそのファンの属性が思慮の浅いコミュニティに無防備に突っ込みすぎた、と言えば良いのか。あまりにも否定一方で、というか賛否以前にもう全く的外れな反応しかなくて悲しくなりました。

 私の中で青春高校が秋元系コンテンツという認識はあんまりなくて、バラエティの構成的にも当初は完全に佐久間Pのバラエティという色が強かったし、

 オーディション終了後、次第に秋元色が強くなっていくことにうんざりしてああいう記事を書いたわけですが、最初からそれを認識・期待していた人からすれば一体何に怒ってるんだという感じなんでしょうね。おそらく。

 そしてまた懲りもせずにTwitterで、会話にならないおじさんと口論して無駄に精神を擦り減らしました。自分はTwitterに触れるべきではないと何度学べば気が済むのか、、、もう本当に。


 いや……今までのヒトリエ記事だったりは、意見の合わない人に対しても一応何か届いたのかなという手ごたえがあったのですが、

 今回はもう、あれだけ言葉を尽くして自分のできる限り真摯に自分の考えを伝わりやすい形にして書いたつもりなのに、それが何も伝わらなくて、変な人の面白コンテンツみたいな形でしか届かずに落ちていくことの絶望だけを味わいました。そしてそれ自体が、自分が青春高校について抱く不満とも繋がっていて、「普通じゃない人」が社会に居場所を与えられる方法が普通の人が馬鹿にする対象、オモチャとしての一択なのかと。テレビのLGBTの扱い方だったりに通じるところもありますが、

 それを、テレビに出るタレントとしての当人たちは喜んで受け入れているから誰にも否定できないとする一方で、それを当人たちが受け入れることで、テレビの外の社会でも同じような扱い方/扱われ方が正解になってしまう、その助長に繋がってしまう……

 なんてことを危惧してもやっぱり青春高校にそんな影響力はない、そしてここでそれをいくら書いたところで誰の何の気持ちも変わらない。


 だからこのブログで何かを書くことの意味ってないんですよね。ないってずっと言っていて、そういう記事もあるんですけど、それでも今回みたいに……外から何か評価してもらえることを期待して書いてしまうダサい自分がいるのもやっぱり否定できなくて、

 その結果がこういう結果になってしまうので、どうしようかなあと……。


 このブログをやっているのは自分が書いていて/読み返して楽しいからだとは常々言い続けていますが、そうやって自分が書いた言葉がこうやって否定だけを受けてしまうとさすがにこう……自分でも楽しくなくなってしまうし、それではちょっと書く意味が。


 無力感というか何というか。ここに自分が書いた言葉が本当にただ虚空に消えていくだけのもの、だったらまだ良くて、何か良くないものだけを呼び寄せる一方で1つもポジティブな効果をもたらさない存在になってしまった。のであれば、もうここにエネルギーを費やす理由がないなと。

 そういう感じです。なので、

 しばらく更新はお休み……いや、お休みとも違いますね。無理に更新するのを止めようと思います。

 もう少し明確に言うと、去年の10周年から、誰かに読んでもらうこと、Twitterや検索などで見つけてもらうことをある程度意識して記事を書いてきたのですが、その形はちょっとやめようかなと。

 また「ひとりごと」だけに戻すくらいがちょうどいいかもしれない。「最近の話題」カテゴリーも使わなくて良いかなあと……

 いや、特にひとりごとで書きたいことがなくて、というパターンは、あるかもしれませんが。あんまり意識もしていないです。

 というか、このブログの今後について何か気を遣う時間すら無駄だと思っています。この文章も当然誰も読んでいないので!笑

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 『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という映画を観てきました。東京では新宿武蔵野館のみで上映中のレアな映画です。

 感想記事は……気が向いたら書きますが、自分の言葉には何の力もないと教えていただいたし、誰からも求められてないので、たぶん書きません。観に行ってください笑

高校一年生の新学期。喋ろうとするたび言葉に詰まってしまう志乃は、自己紹介で名前すら上手く言うことが出来ず、笑い者になってしまう。ひとりぼっちの高校生活を送る彼女は、ひょんなことから同級生の加代と友達になる。ギターが生きがいなのに音痴な加代は、思いがけず聴いた志乃の歌声に心を奪われバンドに誘う。文化祭に向けて不器用なふたりの猛練習が始まった。コンプレックスから目を背け、人との関わりを避けてきた志乃と加代。互いに手を取り小さな一歩を踏み出すが――。

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』公式サイト

 あなたが想像する通りの感想を抱いています。誰に対して話しかけているんでしょう?笑

 つまり、青春高校の記事と全く同じなんですよ。普通でない子に普通であることを押し付けてしまう学校という存在への怒りと、そうやって生きづらさを抱えた子がどのように抗うかという。『桐島』から『青ブタ』『JB!』まで、青春をテーマにした作品であれば逃げられない苦しみ。

 逆に言えば、青春高校が始まった時に、こういうフィクションで一部の意識高い系にだけ届いてきた日本の学校への問題提起を、佐久間Pはまさか現実世界でやってのけてしまうのか、と思ってしまったのですよ。実際は当然そんなものを志向してはいなかったわけですが。


 それで……全部まとめて考えたことはもう1つあって、

 その人の抱える生きづらさ、について本人が語ると「言い訳」「被害者面」「ワガママ」になってしまい、

 他人が語ると「出しゃばり」「他人事」「本人の苦しみは本人にしかわからない」「弱者の政治利用」になってしまうという、

 この2本槍だけで社会を変えようとするあらゆる運動を踏み潰すことができるのってあまりにも便利すぎないでしょうか。


 最近で言えば「LGBTは生産性がない」という発言、これへの批判をLGBT以外がやると「お前ら無関係じゃん」なんて批判がウヨウヨ出てくるし(掛詞)、

 LGBT本人がやると「ワガママ」「そんなこと(社会への要求など)なんてせずに自力で頑張ってるLGBTもいるのに」となる。


 この論法が通じてしまう限り社会は何も変わっていかないと思うのだけど、その視線を内在化せずに何かを語るのはとても難しい。

 だって私が「社会はコミュ障にもっと優しくなるべき」って言っても「は?甘えんな?」って話じゃないですか。でも、コミュ障じゃない人がそれを語る理由もないし、そうやって助けられるのを待つというのもおかしな話で、

 でも「本人が克服した上で他人に助けを差し伸べる」ことだけが正解という、それはそれでおかしな話だとも思うし。別にそんなの個人の頑張りで克服できるものではない、というかそもそもどう考えても個人ではなく社会に責任があるわけだから。


 で、じゃあどうすればいいのだろうというのがあって、今回の青春高校批判記事というのは、あれを本人たちが嫌がってるからという視点で言えば「本人たちは楽しんでる」で終わる話だし、だから「本人たちが楽しんでいたとしても、そうやって変な人を変なオモチャとして扱う様がメディア上で正当化すること」を問題として取り上げたわけですが、それが一切伝わっていなくて、ということは今書いてるこの記事も読んでいるあなたには全く伝わっていないということになるんですよね。

 それで「メディアの問題なら青春高校よりオウム報道の方がもっと問題だからそっちを怒れ」とか言われたりして、もうそんなの相手にしなければいいのですが、どんなに馬鹿げた理屈であっても馬鹿にされて何も思わない人間なんていないわけで、それで感情が動かない方が不自然で、こちらは自然な生理反応として反論したくなってしまう、でもそれが全部今のTwitterやインターネットには向いていない、スルースキルの欠如ということになってしまうのでしょうが。


 もう地下室とか今回とかいろいろ……疲れてしまいました。こうやって言いつつもまた気づいたらTwitterで自己顕示欲を発散してしまうのでしょうけれど。どうにかそれ以外の形を探していきたいですね。これもいつも言っていますが。うん、とりあえずTwitterのサブ垢の方は爆散させました。リプ相手をブロックとかしても何も変わらないと思ったので。本当はそうするべきでした。


 リリスクのライブ感想は、エゴサ待ちとかダサいことせずにちゃんとリプライで飛ばそうと思いました。もしくはインスタのストーリーズ宛メッセージとかで。

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 ところでそのおじさんとの不毛なやり取りを終えて1日くらいして気づいたんですけど、

 一応私って大学卒業して社会人になったじゃないですか。

 で、社会人になってから何か論理的な思考が成長するタイミングってそんなになくて、

 何らかのスキルが身につくことはあっても、例えば考え方が大きく変わったり、何か大きな刺激を受けてものの見方が一気に広がったり、みたいなことって、ほとんどない、と思うんですよ。もしそれがあるとしたら、大学時点でそういう他者の考え方を受け入れる土壌ができあがってる人で。

 で、ツイッターで自信マンマンに持論を語る人たちって、めちゃくちゃ頭良いエリートで、議論する相手より賢いように常に振る舞いますけど、

 ぶっちゃけたぶん私が行ってた大学より偏差値低いんですよ。高確率で。

 もっと言えば、私の行ってた大学は目に見える偏差値以上にそういった思考力だったり他者への理解だったりの教育に力を入れていたところなので、論理的思考力に関して言えば、ちょっと年齢を重ねていたとしても、私より深く考えている可能性は低い。

 ただ、私はそういった論理的思考、批判精神を自分にも向けてしまうので、「相手が間違っている/自分が正しいとは言い切れないかもしれない」と思って断言できなかったり言葉が弱くなったりして、

 相手は頭が悪いからこそ間違っているかもしれないことを断言できてしまったり、都合よく相手の言葉を無視したり、言葉尻だけを捉えて反論ができてしまったりする、そのせいでツイッターバトルでは強かったりするのだけど、

 それはあくまでハッタリか思い込みによる言葉の力強さであって、決して論理の強さではないので、


 今度からTwitterなどで面倒くさい絡まれ方をしたら深呼吸して

 「いや、でも、この問題に対してこの人の思考が自分の思考よりも論理的である可能性は客観的に見て低いな、だって私○○大卒だし」と言い聞かせることにしようと思いました。

 何かの間違いでこの前リプ飛ばしてきた方がこの記事読んだらまた怒られるかもしれませんが、メイン垢でもブロックしているので大丈夫でしょう。


 でも本当に、Twitterで口論してても本当に平行線を辿り続ける以外のことは起きないなあと改めて思いました。お互いに持論を主張しているだけ。

 だから、それだけやってると自分が正しいのか相手が正しいのかわからなくなるので、

 上のような思考でドーピングしてでも自分が正しいという自信をつける方が論理的なのかもしれないと思いました。

 それをここで書くことでもないんですけどね。笑