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ガールズトークとツッコミの必要性のこと

 最近、家から少し遠いところなのですが、コンセントが使えるファミレスを発見しまして、昨日はそこで作業をしていたのですが、

 隣に座ったのが女子高生の2人組でした。

 最初の方は私も音楽聴きながら作業してたのであんまり話が耳に入ってきてなかったのですが、途中でAirPodsを充電するために耳から外したら、ちょうどその2人が彼氏の話をしていて。

 もうそれが面白すぎて途中からもう完全にそれを聞くためだけにいる状態で、まあ作業自体はコーディングとかしてたんですけど、元々21時くらいには帰るつもりが23時半まで残ってました。


 彼氏なのか元カレなのかわかりませんが、夜の土手で抱きついてきた、別れた後もLINEをしてくる、など、もう生々しい話の連発。

 彼氏がノロケてくる気持ち悪いエピソードとか、裏でこういうガールズトークのネタにされてたんだろうなあっていうのはたぶん私自身の中高の時もそうだったんだろうなと思うくらいにめちゃくちゃ言ってて、家に遊びに行きたがったり名前呼びを求めてきたりとか。

 でもガールズトークって本来そういうものだと思うし、自分の彼女はそういうことをしない方の人だっていう幻想を見ることが恋愛の正しい在り方なんだろうなとも思いました。

 浮気だってバレなきゃ浮気じゃないわけで、「バレなければ良いというわけじゃない」と口では言っていても、それはバレた後の話であって、

 「隠れてやっている」と「やっていない」は主観的には同じ現象なので。彼氏の陰口もたぶんそういうものなんだろうなと。もちろん彼女の陰口も同様に。


 別にそれらの話自体は特別ぶっ飛んだエピソードというわけではなくて、よくツイッターで回ってくるような変なこともないし、

 だから当然そういうのを馬鹿にしたいという気持ちも微塵もなくて。

 ただもうその2人が本当に楽しそうに会話していて、話が尽きない。その雰囲気が楽しいし、それをお裾分けしてもらえただけでありがたかったです。

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 合間に挟むちょっとしたボケみたいなものも、別に大して面白いわけではないのですが、そこにもう片方が「面白くない」みたいなツッコミを入れたりもしないし、

 それが凄い心地よい関係に見えると同時に、

 「これで面白いんだったらツッコミって必要なのかな」ということも考えました。

 つまらないものでも演者が全員笑ってれば面白いものに見えるし、面白いものとつまらないものの違いってそこにしかないというか。

 ボケとツッコミって漫才とかコントであればあっても良いけれど、いわゆるテレビバラエティでのそれが必要なのか? というと疑問があって、

 例えば『ガキ使』であったり、往年の島田紳助の番組みたいなものが、今の時代にキツくなってきたのって、ツッコミとイジメの違いを誰も説明できないところにあるんじゃないかなと。

 『アメトーク』や『ロンハー』で狩野英孝とか三四郎・小宮とかが的を射たコメントをすると変な空気になりますし、くだらないボケでスベったように処理されがちですが、

 おそらくこれと同じ趣旨のコメントを有吉やザキヤマが言ってたら面白いものとして扱われるだろうなと思う場面も多々あって、

 それはつまり「誰が何を言っても面白いものとして扱う空気」があれば面白くなるんじゃないか? と。そこにわざわざ「スベる」という役割を押し付けて、誰かが傷つく方向にもっていく必要があるのかなあと。

 中学・高校のクラスで「スベリキャラ」を与えられた人が、何を言っても変な空気になって、それをいわゆる”陽キャ”が「スベった」ということで笑いになる、みたいなことは、自分の高校時代にもあったし、おそらくそれ以前も現在も存在する流れだと思いますけど、それが面白いのは否定できないけれどやっぱりイジメだよね、というところもあり。


 日本という国は、「ボケ/ツッコミという上下関係の笑い」が最も面白い笑いだという思い込みがあるんじゃないかと。それがダウンタウン松本の功績なのか、もっと前からなのか、みたいなことは私はわからないので語りませんが。

 例えば昨年放送されたバカリズム脚本のドラマ『住住』『架空OL日記』はおそらくそれにチャレンジして成功した作品だと思っていて、くだらないガールズトークがあんなに面白いんだから、パッケージ化してテレビでその面白さを再現することは十分に可能だと知らしめたわけです。

 バラエティで言えば、地上波では『アイドリング』や『AKBINGO』のように、芸人がMCとして入ってその面白さを客観的に伝える必要がありますけど、例えばネット放送の『TRYAngle Harmony』について面白くないという人はそんなにいないし、中だけで回していても十分に面白くて、それをマスに紹介する必要はあるのか、と。


 厳密に言えば、会話の中には「ツッコミ待ちのボケ」と「天然ボケ」があって、前者に対してツッコミがあるのは自然なんですよ。でも、後者は2人だけの会話であれば必要のないもので、つまりその会話を他者に伝える時に初めて必要になるものなんだろうなと。

 個人的に3人以上の会話があまり得意ではないのも、そういうところにあって、2人だけの会話だったら大して引っ掛からないであろうところが広がってしまったりして、思い通りの話が全然できないことへのストレス。だから3人以上の会話には台本かリーダー(MC)が必要になって、そういうMCの役割を担える人にとっては合コンとか大人数の集まりは楽しいのかもしれませんが。

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 そして一番印象に残ったのは、2人の会話が23時くらいまでずっと続いた後に、「こんなに2人だけで会話が尽きないのって凄いよね」「こんな話ができる相手が彼氏だったらいいのに」という会話になったこと。

 まさしくそういう会話をしていた友人と2年前に突如絶縁した経験から言って、この2人も大学入って数年したら絶交してしまうんじゃないかなどと要らない心配をしてしまったこともあるのですが、

 それ以上に新鮮だったのは、「女性の友達同士でもこういう会話をするんだな」という発見。

 男と女ってまるで全く考え方も行動様式も違う生物であるかのように語られがちですが、実際そんなことはないんだなと思うし、

 例えばアイドルのラジオとかで「まるで友達同士みたい」とか喋ってると「どうせ楽屋ではお互い無言なんだろ」と突っ込みたくもなりますが、意外とそうでもないのかもしれない、とも。

 同時に、男性同士でも女性同士でもしている会話ってそんなに変わらないのに、何でここまで違う価値観があるかのように見えてしまうのかも考えてしまいました。


 隣の人が聞いてる感が少しでも伝わったら話のトーンが落ちちゃうんじゃないかと思ってできるだけ邪魔しないようにしてたので顔すらほとんど見れてないし、どこの高校なのかもはっきりとはわかりませんでしたし、どっちみち高3なので来年には卒業してしまうのでしょうが、

 もうあの2人組と一生会えないのが残念に思うほど楽しかった……。会計出してあげればよかった。

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 ……なんかこの日記どうなんでしょう?

 JKを変な目で見てる犯罪者予備軍みたいな雰囲気が出ていたら凄い嫌ですね。そんなことないです。

 率直な感想として、生まれ変わったらああいう友達のいる女子高生になりたいなというのが強いです。

 自分はもう高校生にも女性にもなり得ないので、そういうのも含めてあの空気を追体験できただけでありがたかったんですけど、

 例えば自分もよく友達と2人でファミレスに行って話したりもしているのですが、そういうのってもし自分が女性だったら、自分が想像しているような関係性にはならないのかな? という気持ちもあるし。


 さらに言えば、「女性に生まれたかった」っていう想像をする時に、もし女性に生まれていたら自分は今の自分のような思考や生き方に辿り着けているのか、というリアリティの問題もあって、例えば自分が女性だったら友達の輪に入れなくて中高時代もっと辛かったんじゃないかとか、プログラミングやブログに興味を持つこともないんじゃないかとか、

 でも考えてみれば男性として生きている今だって別に友達が多かった時期はないし、女子同士でもああいう関係性を結ぶことが現実に起きるなら、全然あり得るなあ、なんて考えました。


 だとすればそもそも女性を特別視しすぎているだけというか、生まれ変わる必然性もあんまりないんじゃないかと言われると詰まるのですが。

 ただ、むしろ自分はガールズトーク的な会話がしたいんじゃないかと思うこともあって、そこの不一致が周りの友人を遠ざけてしまう一因になっている気もします。でも女性の友達を作るにはそれ相応のキッカケが必要で、そのキッカケって大学を実質卒業した今となっては、どこにもないんですよね。

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