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「DEEPER」は悪くないけど、最近のヒトリエはなんか違うと思う

 私はふと思いました。

 最近、このブログはどうも、読者受けを気にしすぎていると。

 Bremenの感想記事Surface Pro 4のレビュー記事のアクセスが思ったより伸びたことに気をよくしたあまり、検索エンジン経由の流入に目が眩んで、どこにでも落ちているようなレビュー記事ばかり書いている。

 間違ったことを書いて突っ込まれるのが怖いので常に神経を尖らせて書かなくてはならないし、新発売の商品のレビューなんて鮮度が命ですから、早く書けと急かされてしまう。

 今までブログ記事を書くのは私にとって最大の楽しみであり最高の息抜きであったはずなのに、レビュー記事を書くことはストレスになりつつある自分に気づいてしまいました。

 これではいけない。もっと自由に、思ったことを、ソースとか正確さとか気にせずに、「個人の感想」として書きたい。

 というわけで今日はずっと思っていたけど、不正確なことを言ってファンの方や詳しい方に突っ込まれるのが怖くて強く言えなかったことを吐き出します。

 最近のヒトリエ、なんか違うでしょ。

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 まず「最近のヒトリエ」とはどこからを指すのか。メジャーデビュー(センスレス・ワンダー)以降とかタイアップ(ワンミーツハー)以降とかいろいろ捉え方はあると思うけど、

 私は間違いなくWONDER and WONDER』が分岐点だったと思います。あそこで明確に方向性が変わった。あのアルバムは異質だった。

 何が変わったかという話はこれからしていきますが、便宜上この記事では

「wowaka期」……ボカロ時代、『アンハッピーリフレイン』まで

「ヒトリエ前期」……『ルームシック・ガールズエスケープ』~『イマジナリー・モノフィクション』

「ヒトリエ後期」……『WONDER and WONDER』~『DEEPER』

 とします。

 

 私自身は、根っからのwowakaファンで、デビュー当時から追いかけていたわけではないものの、『ワールズエンド・ダンスホール』の動画で投稿から1か月ほど毎晩行われていたコメント色変え祭りに参加してた程度にはリアルタイム世代です。

 それ以降、初めてお小遣いで買ったアルバムは『アンハッピーリフレイン』だし、BALLOOM飲み会にも何度か行ったし、そこで『アンハッピーリフレイン』持って行ってサインして貰ったし、初めて行ったライブは『その少女、おひとりさま』だし、ヒトリエのワンマンにも欠かさず行ってた(過去形)し、ニコニコ大百科のヒトリエ記事を超頻度で更新してたし、

 とにかくまぁ一言でいえばwowaka・ヒトリエ信者だったわけです。

 それが、『WONDER and WONDER』で あれ? となり、その後の『モノクロノエントランス』で おお! となったけど、『シャッタードール』『ワンミーツハー』で んん…… となり、『DEEPER』の頃にはかなり冷めてしまっていた。

 どうして最近のヒトリエに良さを見いだせなくなったのか?ずっと考えていたことをできる限り言語化してみます。共感してもらえなくても仕方ないと思います。

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1.歌詞が変わった。

 ボカロ時代のwowakaさんの歌詞で私が好きだったのは、「言葉選びの美しさと純粋さ」でした。

 wowakaさんの歌詞って、具体的な普通名詞がほとんど出てこないし、比喩も抽象的なものばかりで、特定の状況を直接想起するような表現も出てこない。何より、格好悪い言葉、ダサいワードを徹底的に避けていた印象があります。

なんだかいつもと違う。 運命のいたずらを信じてみる。 散々躓いたダンスを、 そう、思い切り馬鹿にしようか ──ワールズエンド・ダンスホール


どんだけ音を重ねたって 終わりも始まりもやっては来ないな つまりつまり意味はないの どうやらアンタもわかっちゃいないな?

画面の向こう 落ちていった 逆さまのガール、おとなのせかい。 ──アンハッピーリフレイン

 この、「徹底してカッコいい言葉しか使わない」ことが、その当時、同様に大人気だったハチさんやDECO*27さんとの大きな違いだったと思うのです。

お困りならばあいつを呼べ 送電塔が囲むグラウンド 白黒曖昧な正義のヒーロー 左手には金属バット  ──パンダヒーロー / ハチ


思いやりの欠如と形だけの交尾は 腐れ縁のキミとアタシによく似ている 「それでも好き…。」とか(笑) ──モザイクロール / DECO*27

 ……なんとなくわかってもらえるでしょうか。この、違い。

 DECOさんはあえて現代的な言葉、話し言葉を歌詞に入れることで共感しやすくしていたし、ハチさんは難解な単語や普通名詞をあえて入れることで歌詞をわかりにくくしていたのに対して、

 wowakaさんの歌詞は難しい単語が出てこない。でも話し言葉じゃない。文学的とでもいえばいいのでしょうか。

 『アンハッピーリフレイン』だけは少し違いますが、他は基本的に形容詞と抽象名詞で構成された歌詞です。

 抽象名詞だけで作られた、口当たりのいい、文学的な世界観。そこがwowakaさんの歌詞の持つ、独自の魅力だと私は思います。

 それはヒトリエ前期の『るらるら』『カラノワレモノ』『ハネルマワル』『センスレス・ワンダー』『アンチテーゼ・ジャンクガール』でも一貫していました。

 

 では、『WONDER and WONDER』ではどうか。

クルクルパーのセンスをかざして溜まり溜まった愛をいっそ! 丸ごと全部食べてしまって、いつもみたいに遊びましょう さめざめ泣きケラケラ笑って繰り繰り返す今日もきっと! やたらと生きたつもり気取って君のことを笑い飛ばしてんだよ ──NONSENSE


待っている、嫌っちゃってる! どうやら今日もご馳走だ! 宣伝カーの鉄板スピーチ、それぞれに沈んだ無個性 ──ボートマン


合点承知ベイベ。 君は言う 全然興味ないよ。 僕は言う 絶対それはないの。 君は言う ──ピューパ・シネマ

 クルクルパー……? ご馳走だ……?

 この際はっきり言いましょう。この歌詞、ダサくない?

 「合点承知ベイベ」は初めて聴いた時に耳を疑ったし、あと満遍なく微妙にダサいので抜き出さなかったけど「ゴーストロール」の歌詞とかも割とダサい。リーリーリーリーリーバックって……。

 いや、もちろん、そういう歌詞を書く人がそういう歌詞を書くことは別にいいのです。ちょっと変な言い回しでとっかかりを作ったり。あえて身近な言葉を使ってみたり。この程度でダサいとか言ってたらEXILEの歌詞とか爆笑でしょう。それはそういう芸風、じゃなくて作風だから、別にいいのです。

 でも、wowakaさんの歌詞は元々そうではなかった。

 ダサい言い回しを徹底的に避けて、ただただ美しい歌詞を書く人だった。

 ここで改めて『カラノワレモノ』の歌詞を見てください。最初から最後まで。

 もうこんなの、曲なしでも歌詞単体で完結する文学作品じゃないですか。

 私はwowakaさんのこういう歌詞が好きでファンになったのです。だから、そういう歌詞を待っているところに「合点承知ベイベ」なんて面白ワードを投げられるのは、正直、キツいです……。

 『WONDER and WONDER』にしろ『DEEPER』にしろ、決して全てがこういう歌詞ではなくて、例えば「インパーフェクション」「5カウントハロー」「シャッタードール」「フユノ」とかはやはり綺麗な歌詞です。……PV曲ばっかりだな。

 一方で、『Swipe, Shrink』の「粋な台詞 吐ける度量はない 生きるため必要なアリバイオーケー?」、『バスタブと夢遊』の「キツい酒を入れてテレビの狂騒に身を委ねる」、みたいな歌詞もやっぱり入っていて、

 じゃあ『フユノ』が『カラノワレモノ』を並ぶか超えるかするほどの歌詞かといえば、やっぱりそうではなくて、全体的に純度が下がっている感じがするんですよね。wowakaさんがゴーサインを出す言葉のハードルが低くなっている、みたいな……。

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2. 曲が変わった。

 これに関しては上のやつ以上に説明が難しくて、フィーリングの話になるのですが。

 ボカロ時代のwowaka曲は、「シンプルにカッコいい」という特徴がありました。

 ギターのテクニックやBPMの速さ、歌詞の詰め込み方などの技巧はあっても、曲自体の構成はシンプル。

 わかりやすいところでは『ワールズエンド・ダンスホール』のコード進行。(キーは半音上がっています)

image_thumb[1]

http://www.ufret.jp/song.php?data=1992

 代表曲がこれ。Bメロもほぼ同コードで、サビも定番の小室進行。かといって編曲が凝っているわけでもない。

 この、シンプルな曲構成なのに高い完成度と中毒性を生み出し、さらに「wowaka節」と呼ばれる個性をねじ込むセンス。これこそwowakaさん。だったはず。

 

 それが最近では……といって明確に説明できたら苦労しないのですが、

 WONDER and WONDER以降のヒトリエ曲は、メロディーラインを捻りすぎて自然な気持ちよさを失っている、という印象があります。

 自然な気持ちよさとは何か。「次にこの音が来たら気持ちいいなぁとみんなが思うところに、ジャストでその音を持ってくるメロディー」です。私の勝手な定義では。

 例えば。「ドレミの歌」の最後に「ドレミファソラシド ソ ド」というメロディーがありますね。これを「ドレミファソラシド レ ド」にしたらどうでしょう。不協和音じゃないし、決して汚くない。けど、不自然。そう思わないでしょうか。……いや、これは元のメロディーに慣れてるだけかもしれませんが……。

 こう、ほんと何様だよって言われるのは覚悟の上なのですが、「その音の次はそうじゃないでしょ」と言いたくなるようなメロディーが『WONDER and WONDER』で急激に増えまして……具体的に例示するの難しすぎるんですけど、「ピューパ・シネマ」のサビの「やたら、世界もわがままに」のところ。

 「わがままに」っていう単語をあそこまで音程上下させるの、なんか違和感ないですか。歌ってて気持ちいい気がしないし、聴いててもなんだか気持ちよくない。気がする。

 

 多くの人が支持する曲というのは得てして、メロディーはあんまり捻ってなかったりするのです。

 さらに言えば、そういうメロディーはあんまりバリエーションが多くないので、結構似た曲が見つかったりします。

 『ワールズエンド・ダンスホール』の公開直後、ごく一部で、サビのメロディーがとある曲に似ているということが話題になりました。……いや、問題になったアレとかアレではなくて。

 その曲とは『おジャ魔女カーニバル!!』です。

……いやいや、どこが、と思う方もいるでしょう。しかし、実際にキーを合わせてみると、意外と似てるのです。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/32590564/diary/wedh01.mp3  ↑ワールズとおジャ魔女のサビ比較です。どうぞ。

 決して、これがパクリだなんだと言いたいわけじゃなくて。

 私が言いたいのは、「wowakaさんは、著名なポップソングと似るくらいシンプルに良いメロディーを用いながらも独創的な曲を作れるアーティストだ」ということなのです。

 そもそも、wowakaさんの曲の中でもメロディーが似ているものはあります。「積み木の人形」と「アンハッピーリフレイン」が代表例です。

 最初Aメロ聴いた時は混乱しましたが、今はもうどこを混同していたのかも忘れるくらい別の曲だと思っています。

 普通、自分の過去の曲によく似たメロディーが出てきたら、それを無理やり捻じ曲げて差別化したくなるはずです。でもwowakaさんはそうしなかった。なぜか。あの音階、あのメロディーはあれこそが自然かつ最も気持ちいいメロディーで、それを曲げるほどに不自然で違和のあるメロディーになってしまう。

 逆に言えばwowakaさんはそれほどまでに、「自然なメロディーを生み出し、その魅力を損なわずに発展させる作業」に長けている人です。

 それが今では、シンプルじゃない、複雑なメロディーを使い始めている。複雑なメロディーでオリジナリティを出すのはある意味簡単で、でもそれができる人はたくさんいる。というかだいたいのアーティストはそうでしょう。

 wowakaさんはそっちに行くべきではない。と思うのです。

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 冒頭で「ソースなんて気にせず」と書いたので具体的な記事ソースは貼りませんが、(面倒臭がってるだけですごめんなさい)

 『WONDER and WONDER』発売時、あちこちのインタビューで、このアルバムの制作中にwowakaさんがスランプに陥り、その中で何とか曲を揃えるために各メンバーが必死にアイデアを出してサポートした、という旨が語られています。

 その話の通り……っていうと曲解が過ぎると思いますが、個人的にWONDER and WONDERはヒトリエのリリースの中で一番好きではないです。まあ上の話で伝わってるとも思いますが。

 その中で一番wowakaさんの魅力が出ているのが、「変拍子」という、今までのwowakaさんが試したことのなかったモチーフを与えられたことから生まれた『5カウントハロー』というのがまた何とも皮肉だと思うのですが。

 

 そして、その次作、ミニアルバム『モノクロノ・エントランス』は、wowakaさんが「ヒトリエとしての楽曲制作を、一度自分のところに戻す作業」と語っていました。うろ覚えですが。

 その言葉通り、『モノクロノ・エントランス』は歌詞でも曲でも、上に挙げたような不満点はほとんど見られなくて、どの曲もカッコいい、個人的に大好きな1枚となりました。メジャーデビュー以降の最高傑作だと思っています。

 しかし、そこで同時に気付かされました。私が好きなのはヒトリエではなくwowakaさんなのだと。

 そして今回の『DEEPER』です。『GO BACK TO VENUSFORT』『フユノ』はとても好きです。特にVENUSFORTは、特に曲名と歌詞がwowakaさんのセンス全開という感じで大好きです。この曲だけリピートしてるくらいです。

 一方で、『Swipe, Shrink』筆頭に何曲かは正直あまり好きではないです。上のピューパ・シネマと同じタイプのダサさを感じます。

 ……んー、ダサいって言い方も何か違う気がするのですが。妙な昭和臭さというか、漢字で書く「お洒落な曲」感というか……。まぁ「我楽多遊び」っていうタイトルの曲が出たあたりから、ヒトリエの1つのカラーとしてそういう雰囲気が前面に出てる気がしないでもないですが……。

 『バスタブと夢遊』は個人的に半々な曲で、Aメロはカッコいいし好きなんだけど、そのあとの「やってやってやり尽くして」のところの何とも言えない昭和感とか、あと「詳しく教えてください先生」っていう歌詞の芋っぽさとか……。

 とにかく、かつてのwowaka曲・ヒトリエ曲の持っていた、洗練された世界観、整った箱庭感が、どんどん失われていることが気になるのです。

 あと、それでいうと、wowaka時代の曲って、2番と最後のサビの間に間奏が入るパターンほとんどなくて、曲も3分前後でまとまってる場合が多かったじゃないですか。

 ヒトリエ時代では『アンチテーゼ・ジャンクガール』がそれにあたります。

 そういう、無駄を削ぎ落とした曲……というと間奏が無駄みたいに聞こえちゃうんですけど、

 wowakaさんのボカロ曲って、「曲が持っているべき最低限の要素だけで成立する音楽」だったと思うんですよ。wowakaさんの初期ボカロ曲とか、歌詞も信じられないくらい短いですからね。『ラインアート』とか凄いです。

 で、それがヒトリエになったことで、もちろん演奏表現として広がった部分はあると思うのだけど、その「卓越した演奏技術」「ライブでの盛り上がり」などがフィーチャーされて、テクニカルなこと、ライブ映えすることをしようとするあまり、

 wowakaさんのセンスの1つの核でもあった、本来の「ミニマルな良さ」を失って、奇を衒ったテクニックに寄ってしまっているのではないか。と感じてしまうのです。

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 普通のバンドは、無個性な売れ線から、だんだんと独自の個性を獲得して、有名になっていく、というイメージを持っています。勝手に。

 セカオワだって漢字表記だった頃は普通に爽やかなロックやってたらしいけど、今じゃトランシーバー持って英語歌詞一辺倒ですし。

 最初にライブで一定の支持を得るために「普通に受けるロック」をやって、そこから自分たちにしかできないアピールポイントを手に入れて、そこがメディアで取り上げられることでブレイクし始める。みたいなのが王道だと思うのですが。

 ヒトリエはそれとは逆で、最初は唯一無二の個性を持っていたのに、だんだんとどこにでもいるバンドに近づいていってないか?と。

 ライブツアーやフェスなどを経て、むしろフェスによくいるバンド側に寄ってる印象、というか。

 これはもう先入観と偏見に基づいた見方だと思いますけど、ヒトリエをメジャーデビュー当初から激押ししていたよっぴー(吉田尚則尚記アナ)も初期とは褒め方変わってる気がします。

 最初の方は「今までは誰も音楽だと思っていなかったものを、音楽として提示する凄いバンド」とか、とにかく新しい!凄い!って言ってたんですけど、この前DEEPER発売記念のミューコミ+出演聴いてたら、

「凄いバンドというのは、おかしなことをさもおかしくないかのように言う。その点ヒトリエは『ヴィーナスフォートへ行け』という。意味がわからない。だからヒトリエは凄い」

 いや、それ、DEEPER褒めるためだけに生み出された理論じゃないの……?

 歌詞で明確に頓珍漢なこと言ってるアーティストって言われると真っ先に「君はもう友達じゃない 友達より大事な人 世界一のmy friend」って歌ってた剛力彩芽を思い出すんですけど、彼女も凄いアーティストなんでしょうか。

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 ヒトリエがどうしてこういう方向に進んでいるのかを考えてみたのですが、

 4ピースバンドというスタイルに固執しすぎなのではないかと。

 たとえば米津玄師さんは、ツアーではバンド編成を組んでいるものの、名義としては個人なので、なんでもできる。『ポッピンアパシー』や『アンビリーバーズ』みたいな打ち込みサウンドも作れるし、『ドーナツホール』のようにVOCALOIDに回帰することができる。

 また、同じバンドでも、キーボードが編成に入っていると自由度が大きく上がる気がします。セカオワやゲス極、あと私が個人的に最近聴いてるところだと パスピエ とか Mrs. GREEN APPLEとか。

 その点ヒトリエはどうかといえば、もちろん『フユノ』みたいにピアノを入れたりもできますが、大きな枠としてバンドスタイルという軸からずれることができない。

 で、これがどう影響するかといえば、「編曲の自由度が著しく低い」。何ならボカロ時代より低い。『裏表ラバーズ』『僕のサイノウ』みたいにピコピコしたサウンドを中心に持ってきた曲は、ヒトリエではもう絶対作れないわけです。

 編曲を動かせない以上は、作詞作曲で工夫していくしかない。でも、そもそもwowakaさんはそんなに手数が多いタイプの作曲家ではない。というか、「シンプルなメロディー」ってそんなに無限に生まれてくるわけがない。

 だから、編曲を変えずに今までと違う曲を作ろうと思ったら、「シンプルでないメロディー」でそれまでと差別化を図っていくしかない。というのが、今のヒトリエではないかと。

 本当は、作詞作曲の軸をずらさずに編曲を変えていく方が、wowakaさんの独自性を引き出せたのではないか、というのが私の意見です。

 もちろん、ヒトリエが当初のスタイルを貫いていたら人気が出た、とか、そういう話がしたいわけではありません。というか、ヒトリエがフェスやライブなどでその実力を追い風にして、着実に人気を拡大しているのは事実だと思います。

 私が言いたいのはただ1つ。私はその方向が好きじゃない、という、その身勝手な意見です。

 じゃあ逆に、今後のヒトリエがどうなってほしいかといえば……うーん。何でしょう。ぶっちゃけ上に書いたような編曲の問題が主ならどっちみち袋小路な気がするし、むしろwowakaさんにはLiSAさんあたりの女性ボーカル呼んでサブで別バンド作るとか、中田ヤスタカとかつんく♂みたいに並行してアイドルのコンポーザーになるとかの方が新しい面を見られる気がするのですが……。

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 先日、wowakaさんはこのようなツイートをしていました。

 まさに私が言っているのはこの通りだと思います。

 そして、ここ1年ほど、私は実際にこの違和感を真正面から言葉にしないでいました。

 でも、それも何か違うのではないかと。

 バンドが、アーティストが、個人が、変わっていくことを止めさせる権利は誰にもないけれど、

 止めさせようとする権利くらいあってもいいはずで、

 そこで「全てのファンが変わっていくことを全肯定してくれる」と考えるのが、むしろ「ファンをホルマリン漬けにしたい」と言っているようなものじゃないかと。

 なのでこうして言葉にしてみました。

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 長々と書いてしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

 何か意見などあったらぜひ書いていってください。お願いします。

 

(03.01 誤字修正しました。吉田アナ本当にすみません…)