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『デモナータ』と『ハリポタ』と『禁書目録』、ファンタジーにおける「日常」の終わり

 長い記事タイトルですみません。てんこ盛りですね。

 私は趣味がそんなに多くない人間なのですが、
 小学生のころから続いている数少ない趣味の1つが読書です。
 といっても、好きなシリーズを追いかける程度なので、趣味というほどでもない気はしますが……。

 ともかく、今はライトノベルくらいしか読んでいないのですが、小学校の時に死ぬほどハマったファンタジー小説があって、

 それが『ハリー・ポッター』『ダレン・シャン』『デモナータ』です。
 他に『デルトラクエスト』『ナルニア国物語』あたりも全巻読んだのですが、特に印象に残っているのがこの3つです。

 小学校の頃、特に6年生になる前の私は友達が絶望的にいなかったし、PCにも触れていなかったし、ゲームも1日1時間を律儀に守っていたので、本当に読書くらいしかすることがなくて、ハリポタやダレンシャンは何周も読みました。

 最初にハマったのがダレン・シャンで、小学3年生のクリスマス、ニンテンドーDSが欲しくてクリスマスツリーに「DS」と書いたカードを飾っておいたら「Darren Shan」が届いたという愉快な出会いを果たした私は、

 1巻を読み終わるとすぐに2巻を親に買ってもらい、3巻、4巻……と、気づけば12巻が揃っていました。
 その後、同作者の新作である『デモナータ』シリーズも買い求め、たまたま家に3巻まで置いてあった『ハリー・ポッター』も続刊を親に買ってもらって読みまくりました。どちらも完結したのは中学校に入ってからでしたが。

 で、それから数年して、小学生の弟に『ハリー・ポッター』『ダレン・シャン』を勧めたら全巻読んでくれたものの、『デモナータ』は中学生の頃に私が1巻を紛失していたせいでなかなか読めませんでした。
 しかし、読む本がないままだと、うちの弟は延々とiPodでパズドラとマイクラとログレスをするだけのダメ人間になってしまうので、デモナータ1巻を買い直すことにしました。文庫版が出ていて買いやすくなっていたので。

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 で、弟が読んでいるのを見ると、ついつい読み直したくなるもので、先週1巻を読み、一昨日の夜に2巻を読んだのですが、
 2巻まで読んだあたりで私の読書エンジンが久々にかかりはじめ、一昨日の夜の間に2巻から7巻の半分まで一気に読み、昨日の夜に最終10巻を再び読み終えました。

 そして、改めて読んでみていろいろと考えたことがあったのでちょっと書いてみます。

 『デモナータ』の話のネタバレを含むので、興味がある人は一応ご注意を。
 さすがに最終巻の結末とかは書きませんが、1巻冒頭から予想を裏切る展開が多い物語なので、前情報一切なしで読む方が楽しめるかもしれません。

 あと『ハリー・ポッター』『禁書目録』のネタバレも多少含みます。こちらは割と知っている方も多いと思いますが……。

 それから、『禁書目録』の作者・鎌池和馬さんがデビュー10周年記念に書いたWeb連載講座「鎌池和馬の一〇年分の構造」を読むと、より一層理解しやすくなるかもしれません。
 それなりに量のある連載で、私がこれを読んだのもだいぶ前なのでドンピシャな引用をするわけではありませんが、
 「禁書のような作品(ストーリー、世界観)がどうやって生まれるのか」という方法論が、作者自身によって完全に文章化されている貴重な連載なので、興味のある方はどうぞ。

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 さて。

 『デモナータ』は、『ダレン・シャン』シリーズの著者であるダレン・シャン氏(著者名と作品名が同じです)が描く、悪魔と魔術をテーマとした全10巻のファンタジーです。
 主人公のグラブス・グレイディはある日、悪魔に家族を無惨に殺されるというトラウマを目の当たりにしてしまいます。その現場で自身もその悪魔、ロード・ロスに殺されかけるものの、不思議な力に目覚めて何とか逃げ出します。
 その事情を知る叔父のダービッシュに引き取られ、小さな村で新たな生活を始めることになるのですが、またしても悪魔の世界と関わり、そして宿敵ロード・ロスと再び戦うことに……。

 というあらすじです。

 ここまでだと「よくある面白そうな子ども向けのファンタジー」という感じですが、『デモナータ』がさらに特殊なのは、語り手となる主人公が3人いるところで、
 2巻ではカーネルという別の少年が主人公になります。

 その後、3巻でグラブスの話に戻ったり、4巻でベックという女の子が主人公になったりします。
 それぞれ舞台や時代は違っても、主人公たちを繋ぐ同じ人物、例えば若い頃のダービッシュおじさんが登場したり、同じ場所が出てきたり、と、世界の繋がりが見事に組まれていて、伏線の張り方が尋常じゃなく上手いです。

 そして、場所も時代も違う3人の物語が、物語の後半で1つになる。
 ゲームでいえばドラクエIVとドラクエVのコンセプトを両方盛り込んだくらいの壮大さがあります。

 この壮大な構想を全10冊で描き切っているがために、後半でややスケールが大きくなりすぎたり、グロ要素が強かったり、かなり人を選ぶ作品ではあると思いますが、個人的にはハリーポッターやダレンシャンよりも好きです。興味のある方はぜひどうぞ!

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 で、この記事で書きたいこと……というのはまあタイトル通りで。

 『デモナータ』という作品は、というかだいたいの「平凡な男の子が巻き込まれる系ファンタジー」がそうだと思うのですが、1冊単位で見た時の展開のテンプレートがあります。

 序盤の巻では、最初はごく普通の学校や町での何気ない話から始まって、段々ときな臭い話に巻き込まれていき、クライマックスで熱いバトルが起こり、何とか勝利して、元の日常に戻っていく……というストーリーです。
 『デモナータ』の場合は、主人公が変わるのでそのパターンはそんなに多くないのですが、グラブスが主人公となる巻では基本的にこの流れを踏襲しています。
 主人公の少年が吸血鬼の世界に足を踏み入れていく話『ダレン・シャン』も、4巻以降は骨太な一本のストーリーになっていきますが、2巻~3巻はこのパターンです。

 この構造が最もわかりやすいのは『ハリー・ポッター』で、こちらは学校が舞台として決められていて、巻数と学年が一致しているので、「学年の前半は日常、後半は事件」という基本がきっちり固められています。
 それは、『賢者の石』『秘密の部屋』『アズカバンの囚人』と、各巻のキーアイテム・キーワードがサブタイトルになっていることからも明らかです。
 「賢者の石事件」は1巻の終わりには見事解決して、めでたしめでたし、さあ夏休み。です。

 『ナルニア国物語』も、現実世界で物語が始まり、主人公がとあるきっかけで異世界ナルニアに行くことになり、そこで起きる事件が解決した後は現実世界に戻り、また次巻で呼び出される……という繰り返しです。

 これはライトノベルにおいても同様で、『とある魔術の禁書目録』は、続き物でない限りは必ずといっていいほど冒頭はヒロインとイチャイチャするシーンから始まりますし、
 『ソードアート・オンライン』や『灼眼のシャナ』なんかもこの構造をとっていたと思います。(ちゃんと原作を買っているわけではないので若干うろ覚えですみません)

 この構造は、コメディとシリアスのバランスを取りながら話を進められる、導入が現実世界の延長であるために読み手をスムーズに引き込める、読み手が一冊が終わった時に読み手に安心感を与えることができる、など、様々な利点がある様式です。

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 しかし、児童文学とライトノベルには決定的な違いがあります。児童文学は、完結させなくてはなりません。
 というより、ライトノベルは完結させてはいけない、と言った方が正しいでしょうか。もちろんビジネス的な理由です。

 そして、児童文学ファンタジーが、この繰り返し構造から脱却して、物語を盛り上げてエンディングに向かうためには、どんどん事件の規模をインフレさせ、最終的に日常を崩壊させる必要があるのです。

 これが一番わかりやすいのは『ハリー・ポッター』です。第6巻「謎のプリンス」までは、ハリーたちは新学期が始まれば7年制の魔法学校ホグワーツに戻り、授業を受け、恋や友情やスポーツや成績に悩まされます。
 それは、「炎のゴブレット」の終盤でヴォルデモートの復活に立ち会うという、魔法界全体に関わるイベントに巻き込まれてから数ヶ月も経っていない「不死鳥の騎士団」でさえも同様です。

 しかし、第7巻「死の秘宝」で、とうとうハリーはホグワーツに戻りません。自主退学です。1巻丸ごと、ヴォルデモートを倒すための冒険と死闘です。日常シーンはほとんどありません。

 『デモナータ』も、このパターンを踏襲していて、5幕「血の呪い」の前半は、グラブスが学校で、友情や恋愛に悩む様子がメインになっています。デートがどうとかクラス内でのイジメがどうとか考えてます。数週間前に悪魔と殺し合いをしてきたのに、です。

 しかし、2部構成である5幕の後半から、グラブスの悩みは、悪魔がどう魔術がどう、という話題にシフトしていき、6幕でいよいよ主人公が1つに集まり始めると、もはや後戻りはできません。
 そこから最終決戦まで、学校に戻る機会なんてなく、悪魔との戦いの日々に突入します。
 6巻終わった後で「もう一度、日常シーンに戻ってくれないかな……」と淡い期待をしたのですが、残念ながら、グラブスの平和な日常はその後も帰ってきませんでした。

 今回、デモナータを改めて読んでいて、このことに、こう、もやもやしてしまったんですよ。私は。

 私としては、全てを倒した時に、ハッピーエンドとして、元の鞘に収ま ってほしい、と言いますか……。そういう、合間の日常シーンも、同じくらい好きなので。

 しかし、それは無理なのだろうな、と。

 『ハリポタ』がそうであるように、物語を盛り上げる過程で、だんだんと日常の比率が下がって、非日常の比率が上がっていく。
 それを進めていくと、いつかは全編が非日常にならざるを得ない。

 そうしなければならない理由は単純。マンネリの回避です。

 例えば、『デモナータ』3幕「スローター」は、映画にまつわるお話です。
 グラブス、ビルE、ダービッシュが、「悪魔をテーマにしたホラー映画」の撮影に招待されるが、実はその映画撮影には裏で本物の悪魔が関わっていて……というストーリーです。

 こういう話で良ければ、たぶん一生このシリーズを続けられたはずです。悪魔との再戦はストーリー上必須ですが、映画である必要性はありません。
 こういう、「1巻単位のコンセプト」を設定した話を、あと4回くらい繰り返すことも可能だったはずです。数か月に1回、悪魔との1話完結の戦いに巻き込まれるグラブスたち、という構図。

 しかし、それはどう考えてもマンネリです。冗長です。だから著者ダレン氏は5幕にして物語を取り返しがつかない方向に進めました。

 『ハリポタ』もそうで、「賢者の石」「秘密の部屋」「アズカバンの囚人(ブラックのアズカバン脱走事件)」「炎のゴブレット(魔法学校対抗戦)」なんかは、その巻のメインテーマではありますが、シリーズ全体を通して見た時には、ストーリー上「あってもなくても良い事件」です。
 ハリポタは学年縛りがあるので、最初からその限界を定めていますが、別に、1学年で複数の事件が起きたことにすれば、いくらでも「かさまし」は可能だったはずです。

 未完の作品なのでこの流れでは言及しにくいですが、『涼宮ハルヒの憂鬱』はその成功例でしょう。
 最初から時系列をシャッフルしておくことで、『消失』『驚愕』のような大きな事件が起きた後も、「それ以前に起きたエピソードですよ」と言って、何でもない日常を描く余地を確保していました。
 もっとも、驚愕以降の続刊は発売されていませんが……。

 『ハリポタ』も、そうしようと思えば、そうできる可能性はありました。おそらく。

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 で、『禁書目録』は、このループから抜けてはいけない作品です。

 今のところ日常はしっかり残っている、のですが……もう30冊以上も続いているシリーズで、私としては、限界が来ているんじゃないか……と思っています。

 というのも、禁書は、ライトノベルらしく、1冊(たまに2~3冊)に渡って日常と非日常を行き来する話なのですが、
 一方で、長編ファンタジーの宿命として、敵がどんどんインフレしているのです。

 これももちろんマンネリの回避です。

 ただ、禁書は、インフレさせすぎて日常を破壊してはならないので、いわば、ずっと中ボスと戦い続けている状態です。
 集めなくてはならないジムバッジが30個あるポケモンみたいなものです。ポケモンリーグに挑戦してはいけないのです。

 しかし、その繰り返しでは飽きられてしまうので、「ラスボスみたいな強さの中ボス」を続々投入させることになります。「新約シリーズ」では、主に”魔神”とその配下がその相手となります。

 そして、新約9巻。魔神オティヌスとの直接対決です。

 この話がどういう話かというと……。あまりネタバレはしたくないのですが、禁書の場合は大筋がわかっても楽しめる作品だと信じているので、何となく説明しますね。……私自身もうろ覚えですが。

 魔神オティヌスは最強の力を持っているので、世界を滅ぼすことも作り変えることもできます。そして、実際に世界は滅ぼされました。何もない空間に上条1人だけが取り残されます。
 それでも諦めようとしない上条当麻の心を折るために、様々なパラレルワールドを作って上条を追い詰めます。上条のことをみんなが嫌っている世界、信じていた相手に裏切られる世界、上条がいなくてもヒロインたちが助かった世界……。

 しかし、とある存在からちょっとした助けを借りて、上条さんは屈することなく、オティヌスを逆に説得します。オティヌスに簡単に潰される世界であろうと構わないから、もう一度元の世界を構築し直してくれ。と。そして元の世界に戻り……その後ひと悶着ありつつも、最終的には元の学生寮に帰ります。

 ……これって、「日常」が守られたと捉えていいんでしょうか。

 さらに言えば、少し飛んで新約13巻、今度は魔神・僧正とのチェイスバトルです。
 ……そもそも魔神とチェイスバトルって成立するの?
 その気になれば世界全体を壊せる相手が、娯楽のために手加減してくれている状態で、そういう紙一重の状態で、最終的に僧正を退けるのですが、

 ……この流れから、新約14巻冒頭では鍋を囲んでのキャットファイトが始まるわけです。

 私としてはここで引っかかったというか、 「いや、もう無理があるでしょ……」と思わずにはいられませんでした。
 魔神がいて、自分の生死が他の存在にいつ潰されてもおかしくないレベルで握られている状況で、
 食料がどうとか、寝床がどうとか、いや、さすがにそれは茶番でしょ……という。

 新約14巻の展開自体は割と好きなのですが、しかしこの点はちょっと引っかかってしまいました。しかし禁書はまだまだ続くと思うので、このループは続いていくのだろうな……とも。

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 『禁書目録』において、日常が崩れる、というのはつまり、科学サイドと魔術サイドが全面戦争に突入し、学園都市が戦火に包まれる……みたいなシチュエーションです。

 こうなればもう、今まで通りの日常は戻ってこないでしょう。おそらくこれが、最終巻か、最終巻1つ前くらいで起きる展開ではないでしょうか。……今のところ完結する兆しは全く見えませんが。

 そして、その戦いが終わったとしても、街が元通りになる……みたいなことはありません。

 生き残った人々が、懸命に復興を目指していく……というような話になるのでしょう。

 『ハリーポッター』はまさにこのパターンです。第7巻のヴォルデモートとの戦いで、それまでに登場した、名前のあるキャラが次々と死んでいきます。最後、戦いが終わったからといって死んだ人々は帰ってきませんが、世界はそのあとも続いていきます。

 『デモナータ』は……このパターンとはちょっと違って、なんというか、 全体的にぶっ飛んだ終わり方をします。どんな終わり方かは読んでみてのお楽しみですけどね!

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 ライトノベル・児童文学問わず、少年少女向けのファンタジーというものは、基本的に「ごく普通の中学生・高校生」が主人公となります。でなければ感情移入しにくいからです。
 大事なのは「ごく普通の」という部分です。たとえ物語の進行によって普通でなくなるとしても、少なくとも第1巻では普通である必要があります。
 「どこにでもいる普通の子」が「普通じゃない体験」をするのがロマンなのです。

 で、「ごく普通の子ども」は「悪魔を倒して世界を救わなきゃ!」なんて動機で敵と戦ったりしません。
 あまりにスケールが大きすぎるからです。

 なので、この問題をプライベートな世界に結びつけます。

 「あの子を救うためには悪魔を倒さなきゃいけない」という論理です。

 『デモナータ』では、第1巻後半で再び悪魔のボス、魔将ロード・ロスと戦うことになりますが、グラブスはそれを嫌がります。家族を殺し、自分を殺しかけたような相手ですから当たり前です。わざわざ会いたいとは思いません。
 しかし、ロード・ロスと戦わなければ危機に陥ったビルEを救うことができない、という状況になり、嫌々ながらも自ら戦う決断を下します。

 『禁書目録』では、上条当麻は(少なくとも1巻時点では)普通の高校生ですが、ヒロインであるインデックスと出会い、彼女を助けるために命がけの戦いをすることになります。
 2巻以降も基本は同じです。危機的状況にある新ヒロインが登場し、その子を助けるために身を張って戦う。

 『ハリポタ』はそもそもハリーがヴォルデモートと戦うことを宿命づけられ、本人もそれを受け入れている物語なので、ちょっとずれてしまいますが、

 『デモナータ』の主人公も『禁書目録』の主人公も、別に「世界を救おう」と思って戦い始めたわけではありません。
 「自分の身が危険だから」「家族・友人・目の前の人が危険だから」です。

 しかし、敵がスケールアップしていくにつれて、最終的には「世界を救わなくてはならない」ことになり、

 同時に、「普通の男の子がどうして世界を救わなければならないのか?」という疑問が生まれてきます。

 そこで、『禁書目録』では、「困っている人がいることを知れば動かずにはいられない、上条当麻のヒーローとしての資質」をクローズアップし、上条さん本人もそれを自覚していき、また、敵側もそれを前提に戦うようになっていきます。
 禁書原作(特に新約以降)を読んでなくてあらすじだけ知っている、という方にはあまりピンとこないかもしれませんが、最近の禁書のメインテーマは「なぜ上条当麻は特殊なのか」みたいな部分だったりします。

 では『デモナータ』はどうか。デモナータの主人公(の1人)であるグラブスは「ごく普通の男の子」です。
 1年生時点でトロールを自分から追い掛け回すハリーポッターとは明らかに違い、自分から「悪魔をやっつけてやるぜ」みたいな意志は少しも持っていません。
 ただただ運命に翻弄されて何度も悲惨な事件に巻き込まれてしまう少年です。

 それでも、物語終盤、グラブスには世界を救う力の一部があることが明かされ、「自分が戦わなければ人類が滅びる」ことがはっきりし、嫌々ながらも自分から次の戦いへ向かうことになります。
 「運命に選ばれた人間は、普通の暮らしを送る自由は与えられない」という残酷な結論です。

 そして、それを決断した瞬間、彼はもはや「普通の男の子」ではないし、もう「平凡な日常」に戻ることはありえないのです。

 『禁書目録』は、これをどうしても回避しなくてはならないので、上条はたとえ世界の危機であっても個人的な感情を貫き通すキャラクターになっています。
 これは同作者の『ヘヴィーオブジェクト』のクウェンサーも同様ですが、「目の前にいる1人の人間を殺すだけで世界が救われる」というシチュエーションで、決してその1人を犠牲にしないのです。
 常に自分の都合や感情を優先する、「世界の事情なんて知ったこっちゃない」と言い放ててしまう。

 冷静に考えるとそれはそれで普通じゃないような気がしますが、少なくともそれによって、物語のスケールを小さいまま維持し続けているように思えます。

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 『ダレン・シャン』『デモナータ』は、多少の寄り道はあるものの、基本的には1巻から最終巻まで1つの壮大なストーリーになっていて、
 1冊読み終わっても、「次はどうなるんだろう」と常に読者の心を掴み続けます。

 しかし、世間的に好まれる作品というのは、やっぱり最後の最後で日常に戻って、読者をホッとさせてくれることが多いように思います。
 それは、1冊単位でも、シリーズ全体でもそうです。

 『ハリー・ポッター』に比べて『ダレン・シャン』がいまいち人気が出なかったのはそのあたりに原因があるのではないかな、と。
 「衝撃的な引き」というのは、確かに物語としては面白くしてくれるのですが、一方で、どこか「予定調和」であったり、「ひと段落」を望む読者・視聴者は結構多いのです。

 『ハリポタ』はそれを、進級というイベントによって読者にもわかりやすく示していますし、

 『禁書目録』の場合は、毎巻ほぼ必ず新しいヒロインが登場し、その巻が終わるとヒロインはモブキャラにシフトする……という構図により、キャラクター単位で物語を区切っています。

 かくいう私自身も、『デモナータ』の、日常に戻ることなく次の巻へ進む、どこか後味の悪い感覚にやや引っかかったというか、辛いな、と思ってしまいました。

 ただ、これは、そうならなかったからこそ生まれる欲求であって、これらの作品が最後には日常に戻るという「お約束」を守った、いわば「逃げ場のある作品」だったら、『デモナータ』の魅力は損なわれていたに違いないのです。

 その作品の世界観、「日常」部分が魅力的であればあるほど、やっぱりそれを壊さないで……!と思わずにはいられないのですが、

 そのパートの魅力があるからこそ、主人公が、後戻りのできない決断を迫られ、それを選び取っていく、その「日常」を超えていくカタルシス、そして決着の盛り上がりが生まれるのだろうな、とも思います。

 読者が主人公たちの「日常」に魅力を感じなかったら、その日常を守ろうとする主人公たちに感情移入できなくなりますからね。

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 おそらく、この記事で書いたようなテーマの対極にあるのがいわゆる「日常系アニメ」で、

 『ごちうさ』『のんのんびより』『ゆるゆり』などが挙げられるのですが、

 あちらはループ構造ですらなく常に日常にとどまっていて、決してそれが崩れることはない。

 雰囲気が若干似ている『けいおん!』『ラブライブ!』などは、日常はあるもののストーリーもあって、卒業という終わりもある。

 きらら系列の日常系アニメはその点、終わりもほとんど描かれない。
 だからこそ「難民」が生まれるわけで、結局、これらのアニメの日常は崩れることなく、常に「帰る場所」として提供され続けているわけですよね。

 だから『デモナータ』を読み終わってもデモナータ難民にはならないのです。「帰る場所」は既にその作品の世界観から失われている。

 私の好きなアニメ作品『輪るピングドラム』も同様で、序盤は少し不穏な空気を漂わせつつも何気ない日常を描いていますが、それは物語の進行とともに崩壊していき、最終回でもその日常が帰ってきたりはしません。
 でも、だからこそ、この作品は綺麗に終わっているのです。

 そして、なぜ私がこれらの作品が好きかといえば、原作者が、その作品世界を終わらせてまで描きたいテーマがあって、それを完璧な形で実現させているからなのです。

 物語において冗長なパートが一切なく、全てが必然性の下に配置されている。
 そのエピソードが盛り込まれる理由が商業的な要素以外にある。

 そういうものが好きなのです。私は。

 という話でした。

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 思ったより長くてまとまりのない記事になってしまってすみません。

 『デモナータ』を読んだらいろいろと思うことがあって記事にしたくなったのですが、なかなか考えがまとまらなかったのです。

 まあ何が言いたいかというとどれも面白いのでぜひ読んでみてください。という感じです。
 デモナータとかハリポタは図書館とかでも読めるのではないでしょうか。

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 しかしまあ、小学校の時からデモナータなんていう濃いダークファンタジー読んでたら、そりゃ『ごちうさ』より『ピンドラ』好きにもなるよな……。

 と、8年ぶりに読み直して改めて納得しました。